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埴谷雄高のやろうとした「徹底的な否定」
埴谷雄高のやろうとした「徹底的な否定

塩化ニウム
徹底的に暗い黒い単一色 ですね。私もそう思います。いまある宇宙を全否定して断罪してる気がします。特に5章、7章。
イタロー
おそらく文学でやる以上、極端曖昧象徴的に徹底的にやろうとしたのでしょう。アツい。
ある意味、徹底的に暗くして、ペシミズムニヒリズムを突き抜けないと、新しい存在・新しい認識は生まれない、と考えていたと思います。
十章と十二章で、断罪を推し進めたのか、新たなビジョンを提示しようとしたのか、おそらく両方でしょうね。
塩化ニウム
そうですねええ。
軟着地を許さない姿勢、って言いましょうか。それって珍しいと思います。
追記:消極的ニヒリズムには飛躍があるとして、『死靈』は、ニヒリズムでどこまでも飛躍していく、というスタンスなのかもしれない。イタロー
なあなあにして、曖昧にして、ボカして、事なかれ主義にして、どうにか
いい遺産もわるい遺産も、次世代に引き継がれつつ、なんとなく時代が推移してる感じありますもんね
良くも悪くも。埴谷は、いったん全部終わらせたかった。終わらせた上で1から始めたかった、
ってのは感じます。
イタロー
ですねー。徹底的な否定。三島由紀夫もそういうところがありますが、否定の先のために否定する。それを担保する根拠が未来の眼、ということになるんだと思います。
動機……自同律の不快
根拠……未来の眼
目的……虚體
塩化ニウム
わたしは
目的 =存在革命
手段 =虚体 
が死霊の骨子かな、って解釈してた。読み手によって異なりますな
イタロー
根拠 未来の眼
手段 虚體
あら不思議、合体できた!!
ジャイナ教じゃないですが、視点によって結論が違うということはあるでしょうけども、あながち矛盾しあってはいないですな