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三島由紀夫のプロフィール

>戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、日本国外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。
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> 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い。
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> 代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。
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> 晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーで蹶起を促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。この一件は社会に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を与えた(詳細は三島事件を参照)。

>三島由紀夫の主要作品は、レトリックを多様に使用しているところに特徴があり、構成なども緊密に組み立てられ、古代ギリシア『ダフニスとクロエ』から着想した『潮騒』、エウリピデスギリシャ悲劇や、能楽歌舞伎ラシーヌフランス古典劇などを下敷きにした戯曲や小説、『浜松中納言物語』を典拠とした『豊饒の海』など、古典からその〈源泉〉を汲み上げ、新しく蘇らせようとする作風傾向がある。
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> 上記のような傾向から、その形式的な構成の表現方法は、近代日本文学の主な担い手だった私小説作家たちより、西洋文化圏の作家に近い面がある。また、社会的な事件や問題を題材にするなど、日本の第一次戦後派作家や第二次戦後派作家と共通する点はあったものの、その作風は彼らと違って大東亜戦争時代への嫌悪はなく、社会進歩への期待や渇望、マルクス主義への共感を伴った未来幻想がなかったため、そういった面では明日など信じていない太宰治坂口安吾石川淳檀一雄などの無頼派に近い傾向がある。
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> 上述でも判るように、三島は古代から中世近世の日本文学に造詣が深く、耽美的な傾向の点では江戸末期の文学の流れをくむ谷崎潤一郎夭折美学や感覚的な鋭さの面では川端康成とも大きな共通性があるが、文体的には堀辰雄森鷗外の影響を受けており、その文学の志向や苦闘は、日本的風土西洋理念との狭間で格闘した横光利一の精神に近いことが指摘されている。
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> 『午後の曳航』などを翻訳したことのあるジョン・ネイスンは、三島は「(日本が開国により)国をこじあけられて以来ずっと病んできた文化的両価性の範型」と見なせるとし、日本が「生来的・先天的・伝統基底的な」自国文化と、「外来で扱いにくい」異種の西欧文化を和解させて「真正の〈自己〉を見出そうとする国民的争闘」、東洋と西洋の「綜合の模索」の同一パターンの反復であるとしている。
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> そしてネイスンは、「たしかに、三島の何とも優美で華麗な表現力をそなえた日本語は、多少熟れすぎではあったが、骨の髄まで日本的であった。三島が毎夜、真夜中から明け方までかけて紡ぎ出した日本語こそが彼にとって真の重大事であり、その一生を規定した」とし、「(三島の死は)一つの国民的苦悩の明快で適切無比な表現であったことも理解されなければならない。これぞ文化的廃嫡の苦悩であった」と評している。
三島のwikipedia記事はすごすぎるイタロー