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オタクとミームから見る名付けの有用性
これは多分造語論を補強する記事になる。

日本人は古来より未知の自然現象に名前をつけている。妖怪であったり、(神道的な)神であったりする。
例えば:「外気で皮膚が鋭い刃物で切ったように傷つく現象」に、「鎌鼬」という名をつけ、「三匹一組の鼬が行っている」とした。

学術用語は現代における妖怪の役割を肩代わりしていると思う。まだ説明されていない未知の概念に、名があることを知ると安心出来る。
人から好意を受け取ると、お返ししたくなる気持ちに「返報性の原理」と名付けてみたり、元にあるはずの理想的な原型の概念をイデアと呼んでみたり。

学術用語が妖怪と少し違うのは、未知を説明するという性質の他に、より思考で扱いやすくするため、という側面を持っていることだ。
言葉で詳しく説明するには難しい、あるいは長くなる概念を、いちいち工夫しながら説明したり、正確な説明を書いたりするのは非常にノイズになる。また、その概念が抽象的であればあるほど、「言葉の上で行う思索」は行いづらくなる。
これは「思考・哲学・文学・芸術の会」を「アープラ」と呼ぶのと同じようなことだ。

このページにおいてメインで考えたいのは、未知への対応という側面もそうだが、短くした名付けを使うことで、ある程度意味が拡張していくということと、概念へ名付けることで抽象化されたまま思考で扱えるという点だ。


以下草案箇条書き
実例:オタクが使うミームから
意味の拡張
「顔がいい」とは単に「顔面が整っている」ということではない
「尊い」に込められる感情
抽象化されたまま扱うこと
言葉は詳しく説明すればするほど本質からズレていく
あるいは、飛沫が犠牲になる。
細部を語らないことで、個々人の頭の中で飛沫が再形成される
造語やミームは作っていくほうが良い
コア化は進むが、そのほうが議論の際にスムーズになる
共通認識=前提が共有されるということ
もうすでにぼくは「ラップバトル」をミーム的に使った
まとめとかなんか

あとでかきますcman