とある軟弱者の手記(塩ミ)2
2025/1/17
卓越とはなにか、それは絶対性や独断の言い換えでは無いのか?
あるいは、
不可視の実在の感覚を、聖なるものを抜きにして、いかにして語るのか?
信仰とは不合理である。錯覚である。幻覚である。不合理でない、錯覚でない、幻覚でない信仰は空虚な信仰である。
日常で人間が行っているあらゆることが、信仰が不合理で錯覚で幻覚でありつつ、しかしそれが可能であることを示している。消えながら現れている砂の城のような現実を前にして、人間はその城の中で自分の居場所を作っている。これが信仰である。信仰とは、砂の城の中で自分の居場所を作ることである。
アナーキーとはなんなのか。壊しつつ作ることである。アナーキーは、現実を否定しつつ肯定する。あるいは、現実を肯定しつつ否定する。アナーキーとは現実の積極的把握である。アナキストは、自分が作るものが常に古いものとなりゆくことを肯定しなくてはならない。決して、それを乗り越えてもならないし、それを前にして悲観してもならない。それはアナキストがアナキストである所以だから。
アントナン・アルトーは言う。「人間は誤って作られている」と。まさにその通りである。人間は、あえて間違えて自分を作った。あえて間違えられたものとして自分を規定した。人間は自分を作り直す度、間違えている。何度でも作り直せば良い。神とは、創造主とはそういう存在ではなかったのか?
2025/01/20
アープラのメンバーに言及されるほどすごいものを作りたいなあと思った
純粋な革命とは、連続的な時間性との断絶である一回的な固有性との絶対的関係の希求である。純粋な革命が目的とするのは、一回的な固有性の絶対的な、永遠なるものとしての実現である。ゆえに、これは、絶対的で超越的な事物あるいは事態に対する投企、単一としての全体性への没我を強制する。革命はいかなる形であっても、全体性を自己の固有性よりも重視する。革命的であることの条件は、絶対的固有性が一回的な出来事、あるいはその連鎖によって永遠に実現されると考えることである。つまり、時間性と無限に断絶するなにか、革命そのものを革命の目的とすることである。