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さよなら絵梨読書会


藤本タツキ作の漫画
ジャンププラスで無料で読める

ネタバレを含みます

>登場人物
優太…主人公。12歳の誕生日に母親からスマホをもらい、母親の最期までを撮るようになり、それを文化祭でドキュメンタリーとして発表した
優太の母…死期が近く、自分の最期を動画に撮るように言う。元TVプロデューサーで闘病生活をドキュメンタリーにしようとしていた
優太の父…病室に来られなかった優太の代わりに母の最期を撮る。大学を出た後演劇をやっていた。
絵梨…映画好きの少女。酷評の優太の映画を唯一面白いと言った。優太にまた映画を撮らせる。
絵梨の友人…本当の絵梨の話しをしてくれる


>気になる言葉
「ラスト…ラストなんで爆発させた?」「…最高だったでしょ?」
「自分が面白いと思って作った作品が馬鹿にされオモチャにされたらマトモじゃいられないんだ!」
「創作って受け手が抱えている問題に踏み込んで笑わせたり泣かせたりするもんでしょ?作り手も傷つかないとフェアじゃないよね」
「褒めてくれるのは絵梨さんだけですよ」
「優太は人をどんな風に思い出すか自分で決める力があるんだよ」


>表現
スマホの横画面で撮影された映像でできているので、終始コマは横長
母親の最期のシーンのみ1ページ再現
一時退院した絵梨との思い出は横長4コマ
絵梨の親友が「ありがとう」と言うシーンは2分割
「この頃より随分老けたね」見開き1ページ

手ブレ
優太が動揺した時?

廃墟の映画棚
絵梨の能内容量に合わせて棚の充実度が変わっている


>ひとつまみのファンタジー
絵梨を吸血鬼にしたこと
爆発させること

>事実と映画
本当の母親

本当の絵梨

大人優太の事故
家族って本当にいたの?

絵梨は人間なの?

>映画元ネタ
タイトル
ぼくのエリ 200歳の少女

登場する映画
パーマネント野ばら
主人公の恋人はすでに死んでいて、主人公は恋人と交際している幻想を見ている

ブラウンバニー
主人公は恋人の死を受け入れられなくて、恋人は自分を捨てて消えたと思い込んでいる
ラストのシーンで恋人が自分に会いに来た幻想を見ている

シックスセンス
主人公が死んでいる

ほかにも出てくるけどわからない~有識者~

ファイトクラブ

オチがビル爆破

>2022.4.15 読書会
20時から102号室
Q:「爆発オチなんてサイテー」っていうけど、爆発オチはサイテーなのか?
爆発ってよくある?
爆発自体はハリウッドのアクションではよくある
ジョーカーの爆発シーン(ダークナイト)
爆発は映える?
今回はマンガで爆発シーンを書くことに意味があったのか?

「マンガと映画の交錯」
コマ割りが長方形で一定
映画とマンガのミックス

ネコを撮ってる、自分のケガを撮る
撮らされている、つらいというメッセージ

「使えない子」という言葉が好き
死に際に自分の作品が完成しないことへ言及、かっこいい
TVプロデューサーとしてストイック

父親と母親のなれそめが気になる
役者を辞めた父親への母親の感情
優太も映像に興味を持った時の母親の心境

全体的に何がリアルで何が映画の中なのかが曖昧になっている
絵梨の親友がメガネ・歯の矯正をしてることは読者はわからない
優太はいい意味で現実を歪めたものを残す
どこがリアルでどこが映画の中なのかわからない
最後も映画なのかリアルなのかわからない

オチだけ読んだとき、残酷なオチだと思った
→最初から読み直したらコメディも感じた


まとめサイトを見ると全部映画だったオチだと書いている人が多かった印象だが、結局どこが映画でどこが現実かわからない。
これは現実も映画のような映し方をしているからだと思う。
わざとそういう構成にしている。

私も「爆発以外すべて虚構」説です
爆発以外というのは気になる。NASUさん的には最後の爆発も虚構じゃないのか(自分は最後の爆発は虚構と思ったけど)
爆発そのものは虚構、爆発させたいという意志だけがリアルみたいな

大人になった(老けた)優太は父親が演じている説は好き
絵梨も生きているし、母親も生きている

逆に父親は無理解かもしれないみたいな(同情的だけど自分を投影している)ことは思った

メタ構造が二重、三重、四重にもなっている

無言のシーンが多い
無言挟むことで映画っぽさを出してるのかなと思いました

手ブレのシーン
動画っぽさを出している?
コマ割りと映画を同一視させている
シーンが変わるところで手ブレしている

元ネタ映画
この作品はいろんな映画が要素の元ネタになっていて、ストーリーの骨子としては中盤まで「監督失格」で終盤が「ファイアパンチ」のラストだなあって
デッドエクスプロージョンマザー、別にクソ映画じゃないよね
ブレアウィッチプロジェクトみたいな臨場感をだすための手ブレ演出かと

優太の映画のくせ
真実を綺麗にゆがませること(フィクション)
ファンタジー(虚構)を挟むこと
このふたつは別のことではない

優太のくせ
歩くとき下を見る
絵梨にあった日は星が映っている→うれしかった?

優太の母親は毒親
だけどこの作品には影響しない
優太の編集のおかげで毒親感がなくなっている
死が美しくしている
撮影中は大人しくしていただけかと
母親に対して恨みもあったはずなのにそれを残さない優太らしさ

母親と絵梨の類似性

個人的に父親は間違っていると思う。
というより父と息子がネガとポジで、爆発というファンタジーをひとつまみいれてるとおもってる父親と、全てがファンタジーであるなかで爆発だけが一点の真実である優太。

最後の復活した絵梨とおっさんになった優太の会話とその前の独白で、「映画を何度も再編集していた」っていうには気になるかなぁ。
どこからどこまでの物語を再編集していたかよく分かんないし

だから逆に絵梨は美少女で母親も撮影の手ほどきをしてくれた恩人かもしれないけど、編集するうちに裏がある感じを匂わせたほうが面白くない?となった。みたいな順番も考えられる
あの「実は絵梨はそんなにいい子じゃない」の子のほうが後付けである可能性
どこまでが映画でどこまでが現実なのかが、この解釈の揺れにつながる

だから編集を終わらせたいという爆発への意志だけがリアルだと私は思いました

外面の良い人は証拠として残ることには徹底して気をつかうので、映像として残る状態で悪態をついた母親の言動にはとても違和感がありました
お母さんは家族に向けての一面しかないので外面はわからない

優太の癖の一つである映画を美化しすぎるの部分で絵梨は本来眼鏡をかけていて〜みたいに書いていた気がするけどそれも気になります

「このころより老けたね」
このシーンからカメラが第三者視点になってる

それまで美化したシーンを撮っていたのは母親の意図であり、絵梨の意図である
「あなたのことを思い出せる」と言った廃墟を爆破する
それまで相手のためだったのが自我が自立する

優太に映画の呪いをかけていたのは母親・絵梨という母性の呪縛
父親の力が弱い
藤本さんの作品の女性は「母性を発揮することもできる父親」で男性は「友達」。

ななし書記疲れちゃった

ふたつの爆発
最初は逃げ
最後は優太の意志

主人公が絵梨と再会したシーンで出した映画はどれもメタ構造がある
どこが現実でどこが映画なのか曖昧な作品
映画はメタ構造な作品が多い

なにもかも言ってる
でも一言で言えるだけやさしい
さよなら絵梨はなにも確かなものがない

読者がわかる確かな一点を徹底的に排除している

ノートに梨の絵が描いてある
絵「梨」
仲の良さが見える

絵梨と優太の関係
一応付き合ってないらしい
旅行も行ったけど
絵梨の優しさで自分が死んでしまうから振った

絵梨が生き返っているのは優太の妄想
優太が大人になるまで廃墟が放置されている

優太老けてね?
憔悴しているのでは
お父さんなのでは?
しわの描き方がちがう
演劇やってたらメイクぐらいできますしね

自殺しようとする理由は家族が死んだこと
絵梨が理由ではない
なのに絵梨ごと爆破させて生きる意味を取り戻すのは辻褄が合わない
演技なのでは?


ビデオはどこへ消えた?
廃墟に出入りしていた人が持っていった?

吸血鬼絵梨は置いていかれる側
優太も置いていかれる側
絵梨「この映画があるから」
優太(゜□゜)ハッ
生きる意味を取り戻す

映画を再編集していた理由はなにか
再編集することで絵梨に会う気持ち
映像というものがそういう一面がある
亡くなった人にも会える






kluftroseおつん。寝落ちしたのでログとこっちを見に来ました。ノシ