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「筆者」の批判をかわすような解釈
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次のようなそれぞれ異なるスルーできる価値判断/スルーできない価値判断を持つA、B、Cがいたとする
A:「テニスのプレイが悪い」/「嘘をつくことが悪い」
B:「嘘をつくことが悪い」/「唐揚げにレモンをかけることが悪い」
C:「唐揚げにレモンをかけることが悪い」/「テニスのプレイが悪い」
たとえば、Cが他の誰かと「価値判断にまつわる問答」(これ価値判断の区別の仕方に対する反論#61bde6417427b70000bed164)を行った場合、「唐揚げにレモンをかけることが悪い」に対して「もっとよくしようと思わない」という人はスルーできるが、「テニスのプレイが悪い」に対して「もっとよくしようと思わない」という人はスルーできない。
上の三人の場合、全員が「嘘をつくことが悪い」ということに関してスルーできないわけではなく、少なくともBはスルーできる。反対に全員が「テニスのプレイが悪い」ということに関してスルーできるわけでもなく、少なくともCはスルーできない。
しかし、「具体的にどのような価値判断に関してスルーできるか/スルーできないか」は三者三様であっても、ある個人が持つ価値判断の内にスルーできるものとスルーできないものという区別自体は存在しているといえる。したがって、それを基準にして「絶対的価値判断」と「相対的価値判断」とを区別することは可能である。
つまりどのような価値判断が「絶対的価値判断」あるいは「相対的価値判断」であるかは人によって異なるということ。
以上のようにウィトゲンシュタインが考えていたと想定するのであれば、「筆者」の批判をかわすことができると思われる。