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「加筆希望」タグを付けても加筆はされない
2021/12/30に久住哲があらためて思ったこと。

#加筆希望 というタグが付けられたページに対して積極的に加筆行動が起こるケースをこの一年半さほど観測できなかった。
全くなかったわけではない。だが、 #加筆希望 と書かれたページに加筆された数と、そう書かれていないページに加筆された数とを比べられるものなら比べてみたい。そうすれば、加筆という行為がハッシュタグによってなされたか、あるいは各自の関心によって自発的になされたかが見えてくるようなきがする。

久住哲はこういうケースが反省されず繰り返されるような事態に苛々する神経質タイプな人間である

それでも人は #加筆希望 を繰り返すだろうと思われる。

理由のひとつは、ハッシュタグという概念を多くの人がTwitterから学んでいる、ということだろう。 #拡散希望 #RT希望 という見た目をしたテキストを日常的に摂取している。ところで、Scrapboxでも文頭に「#」をつけると青色の文字になり、Twitterみたいだ。そうなると、Twitterにならった仕方でタグを使おうという動機づけがなされてもなにもおかしくない。むしろ、自然だろう。

もうひとつは、Discord本部で導入された創作タグからの影響が考えられる。創作タグには、「応援希望」とか「改善希望」とかいうものがあった。そのうちの「コラボ希望」みたいなものは、創作演習chにおいて面白い展開をもたらした。Discordで文化になったタグの習慣が、初期の「アープラWikiテスト」に引き継がれて、盛んに #加筆希望 という文字がページに書かれていった。

もうひとつは、多くの人が他人の作ったページに書き込みをする習慣がないということだ。しかし、どうやらScrapboxというものは、あるいはWiki一般というものは、他人の文章に手を入れるらしい。であれば、このWiki的な態度を獲得するために、人の心をプッシュする材料として #加筆希望 と書けばどうだろうか。たしかに、Scrapboxになじもうとしたときに、他人のページ書き込むことへの心理的ハードルは高いので、そこをケアするのは重要そうだ。
どうしても補足したいことが2つある
別にこの心理的ハードルを撤廃する必要はない、ということは強調したい。
もうひとつは、もしこの理由だとしたら、加筆希望をタグにする意味はどこにあるのか分からない。というか、ハッシュタグという形で加筆希望の意を伝えるのは不適当ですらある。なぜならば、どのような加筆を望むかが分からないからだ。

しかし、この特定のタグがどうこうというのは、久住哲の関心ではない。
むしろ、次のいくつかの点で悩む
こういうページを作ることは、「#加筆希望」とページに書く自由を著しく妨害する
このようなページによる自由の抑圧をしてはダメだと思い込み、ページを作らず、フラストレーションが貯まる
なぜ加筆増加効果が認められないのに #加筆希望 を数ヶ月にわたり継続するのかと疑問に思う
もっとも、次のような見方もある:
「さて、今回の編集会では#加筆希望タグのLinksを見てゆきましょう」
このようにして、加筆希望タグが付けられたページは企画のネタになりうる
加筆希望タグに、加筆を促す効果だけ見てとるのは狭い見方だろう。思いもよらない良いことがありえる

このページは、記事タグ廃止についてに似ていて、久住哲個人の神経質な感情に対して、それを正当化するような理由づけがなされるとともに、他者の自由な行動を抑圧しようとする意志が感じられる。

他者への抑圧に対しての過剰な意識という点は言及の力の自覚のページと共通している。

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ついでに言うと、久住哲はDiscord本部で「アープラ一周年おめでとう!」っていつまで書いてるんだよと毎日のように苛立つ。残っていてもいいし、「おめでとう」って良いことだし、何も問題はないのだが、一周年って2月のことだぞと思ってしまう。
じゃあ、「いつまで一周年って言ってるんですか」と言えばいいじゃないか、という感じだが、この苛立ちがまったく個人的なものだと思い込んでしまっているので、個人の感性をもとに全体に関わることを変更しようとするのってどうなんだろうなどと思い、言うのをやめる。
あと、自分の考えが間違ってることがかなり多いので、他人の行動を抑圧的に変える言動をするのが怖いというのもある。
uvoa 激しく同意です。私も相応に苛立っていますし言いたいことは山ほどあるのですが、とはいっても「これは結局は個人の趣味嗜好のものであって押し付けるのはなあ」と思い、言うのはやめていました。セキュリティ・アップデート対応だけは特例(ユーザーの安全性を担保するのは流石に趣味嗜好の範囲ではないと思われる)で、あれはまさしく怒りが頂点に達していて、たとえどんな反対意見があろうともゴリ押すつもりでした。セキュリティ・アップデートが終わってからは、「後のことは結局個人の趣味嗜好の話だよな」と思い抑圧することにしました。

私個人は使われなくなった加筆希望タグはスクボの歴史(遺物)みたいなイメージです。将来、再活性化するかもしれないと思うし、年一くらいで加筆希望のページを見直してみよう週間があってもいいのかもしれないないな〜と思います。
(生活の中で知ったタイミングで加筆することはあるなと思います。すると私が加筆しやすい記事は自然と衣食住に関する分野ってことになる)
それ以外ではあーぷら本部のイベント、自習の内容が加筆希望記事の分野と被ったなどが活性化のタイミングかもしれませんねこひつ

ただ、こういう遠慮は遠慮で、他者を舐めているのではないか?という反省も芽生えてくる。自分が間違ってたならば、他者が正してくれるということは経験的に学んでいるのだが、そのようなコミュニケーションが期待できないと考えてしまう。であれば、やはり舐めている。

ネット議論などネット上のコミュニケーションをめぐっては、自分の悪性が見えてきて疲れる
たしかに……