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言及の力の自覚
サルトルに分析されたジュネが小説を書けなくなったというエピソードがある。サルトルがやったほどの分析でなくとも、他者を分析することによる他者への影響というのは少なからずある。

現在(2021/11/13)Discord本部では加害者性という言葉を含む議論が思想哲学チャンネルで活発に行われていると見受けられるが、私は「加害者性」がいまの話とリンクすると考える。
あれ、なんかどこかでもこの話があったような?:
だからといって抑圧しないみたいな話
ネガティブの話だったか?
😞 見つからなかった
あ、差別の話だった気がする。たしか、差別の意識の話。性多様性かな?(リンクで見つからないので後回し)

しかし、では言及をやめるか(あるいはやめてもらうか)というと、そうではない。
メタ認知に落とし込むことのメリット(相対化能力の獲得)を期待して、言及の影響力に関して言語的に明示し、周囲の人のメタ認知を形成する方向に持ってゆく。(思想感染的なアプローチ)

すなわち、「言及ってけっこう人の行動に影響を与えるよね、そしてそれは破壊的な作用をすることもあるよね」ということを自覚してもらうことにより、自分に対しての言及の影響力を相対化する力を周囲に持たせて、自分は思う存分に言及しまくる……という戦略である。
これは批判についての啓蒙についても言える

潰れて潰れたままのやつはそこまでだった、ってことじゃあダメなのか。他人なんか気にせず考えて書いて考えて、それで潰れちゃった人がいるなら自分が悪者になればいいんじゃないか。悪者がいればみんなとりあえずはそれなりに「仲良く」するだろうし。
「加害者性」なぁ。ようわからんな。