>Den nexus bestimmt er als » inesse « des P in S, das » inesse « aber als » idem esse «.
>真の述語機能というものはすべて、事物の本性のうちになんらかの根拠をもっているものである。そこで、ある命題が自同的でない場合、すなわち述語が主語のうちにはっきりとはふくまれない場合には、述語は主語のうちに潜在的にふくまれているはずである。これを哲学者たちは『内在』と呼び、述語は主語の中にある、と言うのである。(中公クラシックス『モナドロジー 形而上学叙説』p65)