断片的なものの社会学
岸政彦さん、今まで存じ上げていなかったが、なんでもない人の書いたブログを徘徊するのが趣味ということで、かなりシンパシーです。
>完全に個人的な、私だけの「良いもの」は、誰を傷つけることもない。そこにはもとから私以外の存在が一切含まれていないので、誰を排除することもない。しかし、「一般的に良いとされているもの」は、そこに含まれる人びとと、そこに含まれない人びととの区別を、自動的につくり出してしまう。
> 「良さしかない RT@ちょめ美 良さがある RT@ちょめ男 良さー RT@ちょめ子 良さ」
> はあ?だからなんなん?良さぐらいヒットラーにだってエド・ウッドにだって少しぐらいあるわ
>良さはそこには無え!!!それを良いと思ったオマエの!!!心のなかにあるんだよ!!
> 「イイね!!」「良い!!!」「良いと思う!!!!」「めちゃくちゃ良いじゃん!!!」
> って言えよおおおおうおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!
>不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置くということが、一緒になっています。
>インターネットで我々を制約するのは、他人に干渉が出来ない仕組みだ。他人の権利を尊重するという牢獄。
他人の権利を尊重するという牢獄。
>他人の権利を尊重するというのは、いつでもあなたの口を塞ぐことができるけれども、それをしないということだ。目の前にいる人間をいつだって殴り飛ばすことができるけれども、それをしないということだ。そしていざというときは、その境界線を踏み越えて、他者に干渉できるということだ。