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知的生産
個人的で、言語的で、創造的な営みにより、新しい事柄を提出すること。

もう少し詳しく:
正解と制約がない中、孤独に、個人的に、言語化による発散と収束を行き来しながら、新しい事柄を提出すること。

背景
知的生産という言葉は色んな人が色んな意味として使っている
原典はおそらく知的生産の技術(1969, 梅棹)と思われる
>かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら――情報――を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ。
知的生産術(2019, 出口)
etc
広義には「頭を使って何かを生み出すこと」くらいの意味合いである
一方で、原典の知的生産の技術には「知的生産」なる営みの本質が扱われており、これは現在国内でも界隈(*1)として存在するが、あまり詳しく捉えられてはいないし体系もない
*1 一言で表現するのは難しいが、「倉下忠憲を中心とした界隈」というのが現状最も的を得ていると筆者は考える(ちなみにオリジナルは筆者ではない)
そもそも広義のニュアンスが広まりすぎて、界隈に到達することすら困難である

構成要素
正解がないこと
どこで打ち切るか(どこで切り上げて提出するか)は本人が決める
制約がないこと
やり方や様式の指定がないこと
たとえばこのフォーマットに従って全部埋めればおわり、といったものではない
孤独であること
成果をつくるところまではひとりで完結させること
少人数の原則ならぬ単独の原則ということもできる
極めて個人的な事柄も含む、極めて深い思考を行うため、コミュニケーションコストは一切廃さねばならない
言語化を行うこと
絵、音、身振り手振りといったものではなく、言語であること
その性質上、エイリアス(便宜上の別名)や造語は当たり前に行われる
個人的に行うこと
やる気、思いつき、信念といった個人的な源泉を重視すること
他者の言葉や権威の情報(既存事例やエビデンス等)よりも
セルフアウト的ということもできる
知的生産の技術では「だしにする」という表現が登場するが、より大胆に言えば、あらゆる情報を自分勝手に解釈して何かを導くというものである。乱暴や傲慢の言葉も実はよく似合う
発散と収束を行うこと
発散とは情報を目に見える形で外に出すことである
脳内では捉えきれない多量の情報を出す
この時点では意味づけや取捨選択を行わず、とにかく出すことを優先する
収束とは発散した情報をピックアップして何かを導くことである
発散した情報すべてを律儀に拾ってまとめあげることを要約という
発散した情報も自分勝手に使い散らして何かを導くことを蒸留という
発散と収束はたいてい何度も行き来する
提出すること
第三者に理解できる形で言語化できていること
第三者に披露する必要はないが、未来の自分は他人に理解してもらうという意味ではこの程度の言語化は必要である
ただし言語化が甘かったり、そもそも内容が難解だったり相手が理解できるまで時間をかけなかったり等により理解されないことはありえる
(できれば)提出したものが新しい事柄であること
既存の事柄でないこと
しかし現実的には既存かどうかを調べ上げるのは困難であったり、あったとしても細部が異なっていたりするため、「自分の中で新しいかどうか」との目安に従う程度で良い

意義
専門家でない一個人でも新しい事柄を生み出せるというパラダイムであること
例:
筆者がワークウェアという概念に至ったのも知的生産という営みのおかげである
倉下忠憲は知的生産のためのやり方や考え方を啓蒙している(最近はノートテイキングの書籍が目立つ)
内省の一手段、特に創造的な手段であること
内省はともすると退屈だが、知的生産はものづくりであるため楽しみやすい
ライフワークにできるポテンシャルがある
例: ライフワークの思想(2009, 外山)
書籍など大きな知識や体系を作り上げる際の一つの手段であること
特に構成要素として要件(必要とされるやり方やスタンス)を洗い出せたことが大きい
実はこれだけの要件が必要なのである

応用
自律的なキャリア開発や生活設計
知的生産を行うことで創造的に内省を継続できる
また個人的に必要なやり方や考え方を自製することもできるようになる
余談だが、この考え方はまさにワークウェアエンジニアリングでも扱っていることである
意思決定意識の獲得
知的生産は極めて個人的な営みであり、その本質は意思決定である(何を選んでどこまでつくるかを全部自分で決める)
意思決定は通常、一部の役職者やフリーランスが備えるものであるが、知的生産によりこれを鍛えることができる
VUCARDな昨今、一般人にも自律性や主体性が求められており、意思決定の意識は重要である
新しいビジネスや組織改善の創出
新規ビジネスや改善の検討といった新しい活動は(偶然対象領域が単純であるか天才でもなければ)非常に難しいものであり、時間と深い思考の双方を要する。しかし、どちらも大半の人間には一生縁が無い
知的生産は、いわば時間をかけて深く思考する営みであり、まさにこの部分を体験・鍛錬できるものである

Q&A
Q: プログラミングは知的生産か?
Ans: いいえ
言語化をしていないため
プログラミング言語という特殊な言語を使ってはいるが、自然言語ではない
プログラミングは論理の記述であり、本質は数学に近い
ただし設計の段階で知的生産を行うことはありえる
Q: 創作や哲学は知的生産か?
Ans: はい
ただし実用性がない or 薄いため、認められない場合があるかもしれない
このページの定義では意図的に(構成要素から「実用性」を)抜いてある
Q: ワークウェアエンジニアリング(WWE)は知的生産か?
Ans: いいえ
ただしWWEは知的生産も多分に取り入れている、というより知的生産も含めて「そういう営み(個人的な発想を基点とした言語化や生産)」が体系化されていないため体系化していこうというものである