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関羽
肘に龐徳毒矢を受けた時に手術する様子
>219年に龐徳から毒矢を受けた際、骨にまで毒が染み込んでいたために、肘を切開して毒が染み込んだ部分を削り取らせたことがあったが、宴会の最中であったにもかかわらずその場で切開させ、痛むそぶりも見せずに酒や肉を飲食し、平然と談笑していたという。関羽 - Wikipedia
>蜀志』「関羽伝」には「言笑自若(げんしょうじじゃく)」との表現があり、これは「泰然自若」の同義の四字熟語になっている。

陣営の武将、字は雲長
劉備張飛の義兄弟
死後神格化されて「関帝」(関聖帝君関帝聖君)となった

主な戦い
董卓配下の猛将華雄を「酒が冷めない内に討ち取ってきます」と言って本当に討ち取ってくる
呂布張飛の一騎打ちに参戦する
劉備が袁紹の元に逃げている時、関羽は一時的に曹操客将となっていた
降伏するにあたって3つの条件を出す
1. 曹操でなく漢に降るよ
2. 劉備の夫人に誰も手を出してはいけないよ
3. 劉備の居場所がわかったらすぐ曹操軍を出てくよ
この条件のもと袁紹の有力武将顔良を討ち取るなどしている
そのとき袁紹軍に劉備がいると判明し関羽が出ていく
>曹操の元を去るとき、曹操軍の検問に手形がなかったことから見咎められて、6人の将軍を斬り殺して突破した話(五関突破)
そんなものはない」のコマで有名
命からがら逃げ出す曹操を待ち伏せるが、旧恩により見逃す
曹仁龐徳が護る樊城の城攻め
長雨のために城壁が水没、関羽も水軍を使って兵糧攻めを行う
このあと孫権軍に攻められて関羽は敗死する