>平安京の北東の鬼門を守り、その影響力はたびたび『平家物語』の中でも描かれている。平家打倒の謀議、「鹿ヶ谷事件」は後白河法皇が対立関係にあった延暦寺と清盛をぶつけることで両者の力をそごうとした目論みに対し、清盛が武力衝突を避けるためにでっち上げたという説がある。