心理的安全性
この言葉使っているけどよく分かっていない
心理的安全性の定義: a shared belief that the team is safe for interpersonal risk taking
日本語訳は「チームに、対人関係のリスクを取っても安全だという共通の信念があること」?
>心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。心理的安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていません。自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があります。
皆が(自分ではなく)チームのために行動するということ
たとえばチームがやばいなら(自分が嫌でも)残業もする
これをするためにはチームのビジョンを決めて、皆が納得してそれ目指そうってする必要がある
チームのビジョンを正義にする
正義のために個を殺して協調する
これは違うんじゃないかな
説明できなくて申し訳ないですが、直感的になにか違うように感じた
どうなんでしょうね(利己的人間の
が穿った見方をしているところはあるかもしれないです)
「残業するのは嫌です」と気兼ねなく言える状態の方が心理的安全性があると思います
ビジョンのために自分の意見を言いづらい状態、自分らしく行動することが妨げられている状態は「心理的安全性がない」と思う
(自分ではなく)チームのためではなく、自分のこともチームの一部として大事にする?
チームのビジョンの内容次第な気がします。 皆が納得できるビジョンを掲げることは難しい。
できたとしても、皆の共通部分をくくりだしたビジョンになってしまうのではないか。
ここ疑問です
「皆が納得できるビジョンを掲げることは難しい。」「できたとしても、皆の共通部分をくくりだしたビジョンになってしまうのではないか。」で立ち止まってしまうのは心理的安全ではない気がしています
共通部分を広げていくにはどうすればいいか?の方が心理的安全性のニュアンスに近いと思います
違いを認めた上で、一致できる部分を増やしたり見つけたりしよう、そこに寛容になろう、みたいな
んー、実際
の独自解釈に近いかもしれませんが、Google re:workの内容を実践しようとするとこの考え方になる気がしている
たしかに。「チームのビジョンの内容次第」は間違いで、ビジョンが変化したり拡大できる環境が重要な感じがしてきました。
「皆が納得できるビジョン」や「皆の共通部分をくくりだしたビジョン」は固定されてしまっていて、
状況に応じて変化できないことの現れな気がしてきた。
めっちゃビビッときた
とてもいい解釈なのでは
行動するということ
手を動かして成果を出す
行動によって示す
「役に立つ」ことをする、と表現されている
仕事を行う特定のチーム内における概念であって、誰にでも当てはめられるものではない
僕は「心理的安全性の定義」と「心理的安全性を担保するための手段」を混同してたようです
定義自体は
さん言及のとおり、エドモンドソンのものが一番正確(というよりオリジナル)だと思いました
手段の話
「利他的な行動至上主義」という手段
を
が一言でまとめたもの
が、(既に指摘いただいたように)あまり心理的安全性よろしくなさそう
ビジョンに縛られて自分を出せない
そもそも縛られないようなビジョンつくれるの?問題
>チームのビジョンを正義にする 正義のために個を殺して協調する
この辺がたぶん
の拡大解釈そうだなぁ……
他にどういう手段があるのだろう
これをどう担保するか、と言い換えることもできるか
とりあえず「皆が好き勝手に主張する」では破綻しそうってのはわかる
以下あたりも混同しているとわかった
A ビジネス上の目的を達成すること
B 発言できること
心理的安全性はここ
発言できる=こういう発言してもこのチームならちゃんと大丈夫だ(対人関係のリスクを取れる)
対等に扱われる感もおそらく含まれる
逆に大丈夫じゃないと発言できない(というより意味がない or 害があるのでしなくなる)
C 発言したことが採用されること
ここは心理的安全性のスコープではない
「残業するのは嫌です」を気兼ねなく言えると心理的安全性が高い
が、その先の、実際に残業を回避できたかどうかは関係しない
「残業やることになっちまった。。嫌だと言ったのに……。心理的安全性が低いぞ!」ではない
「よっしゃ残業回避できたぜ。俺の要望通るから心理的安全性が高いぜ」でもない
門前払いされず、残業の可否を真剣に検討してもらえることは大事な気がする
結果というより、結果に至る過程の話?
対等に扱われていると思えること
たしかに。上記に反映
で、つくりかた本がA+B+C全部扱っているから、A+B+Cひっくるめて心理的安全性だ、と
は捉えているっぽい
「心理的安全性」の単語だけでも説明的なので、単語から意味を推測してしまいやすいです。
>心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。心理的安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていません。自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があります。
この定義だと、まだ直感的に分かりづらいかもしれない。
互いの
人格を尊重しあっていると信じられるということ?
独立なのかわからないが
これだと思っている
AがBの意見を辛辣に批判して、BがAを「辛辣ですねw」と言い、AはBに「辛辣ですねぇw」と返せる(そして後腐れない)ような関係のことかなあ、とふと思った
例えばチーム内で現在の方針に対して批判的と取れる発言をした時、
ハブにされる、無視される
陰口を言われる
等の環境は心理的安全性がない環境であるといえるという理解