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狂気の歴史
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ミシェル・フーコー博士論文として出版された

ヨーロッパ史において狂気の意味の考察
簡単にいうと、色んなもので感じられる「狂気」と言語化されるものを歴史を踏まえて考えていこう!みたいな話

>狂気がそれに代わって排除されるべきものとなったと彼は言う。狂った人間を舟に乗せて送り出したという15世紀の「阿呆船」は、文字通りその排除が一つの形をとったものであった。
阿呆船はいわゆる狂気に対して皮肉を言われてしまって、それが大衆にウケているというassumptionから「狂気」の受け取られ方の変遷を見出したということ?




狂気の歴史 - Wikipedia ではこんな感じ
>「狂気の歴史」というタイトルは、決して自明のものではない。なぜなら、フーコーの目的は、精神疾患を医学的カテゴリーにおいて説明することではなく、西欧において変容してきた狂気の内実を歴史的な次元においてとらえることにあったからである。それは、彼以前の人間科学が歴史的実践をなおざりにしてきたことへの批判でもあった
関係ないけど、この文脈の持っていき方、それは批判でもある~なのはかっこいいtkgshntkgshntkgshn

>ルネサンス期には、狂気がきわめて豊饒なる現象として扱われるようになる。なぜなら、狂人とは、「人は神の理性(Reason of God)には近づきえない」という思想の体現だったからである。
神に近すぎたから〜で、否定の意味は入っていないということかtkgshntkgshni
だから、'狂人だったとしても許される"みたいな感じなんだと思う?
この「狂人」という言葉は京都の平熱あらためて奇人伝説についてでも頻繁に出されている
このヨーロッパ西洋の中世)の例は、「"気違い"になった人たちを輸出入の船に乗っけてどっかに放り投げちゃう」的な感じ

>ボッシュブリューゲルの絵画に表象されているものこそ「狂気」である。それは、死の不安であり、宇宙の混沌である。
西洋の中世に行ってみたいtkgshntkgshntkgshntkgshn

>18世紀には、狂気は、理性そのものを観察するかのように扱われるようになった。
狂気の取り扱い方が変わっていってる(精神病、発達障害の数が増えている)とかの構造と同じかな?tkgshntkgshntkgshn


2022/12/25ぐらいから?読み始めた
おじの本棚にあったので拝借