「彫刻」概念の再考
>「よくああ無造作に鑿(ノミ)を使って、思うような眉や花ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
>「全て大理石の塊の中には予め像が内包されているのだ。彫刻家の仕事はそれを発見する事」「大理石の中には天使が見える、そして彼を自由にさせてあげるまで彫るのだ」。(Every block of stone has a statue inside it and it is the task of the sculptor to discover it. I saw the angel in the marble and carved until I set him free. )
これは
社会彫刻という言葉を理解するのにも大事だと思う
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「そこにあるもの」ってのがいいですね
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無から作っているように感じるけど既に存在している。
ある意味言語化するって事も掘り起こしているともいえる?
ふと思ったけど自分の認識の彫刻だと既に完成されているけど社会彫刻って完成していない気がした
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像の一部分だけしか発見できていないのか、像の中に像を掘っているのかは微妙だけど...
だから「彫刻」ではなく「社会」彫刻と呼ばれている?
完成という概念はないと思う
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「社会」彫刻においては文脈をもたない彫刻は存在しない(と思う)ので、その意味で社会彫刻はそれ自身が文脈を生み出し続けるので完成しないと思ってます。設計ではなく
ブリコラージュ。
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>正確には覚えていないが、「大理石のなかに囚われた魂を救い出すのが彫刻家の使命」、というものだっただろうか。ミケランジェロのそのコトバは、ただ単に彫刻家の発言というよりも、「現世のくびきに囚われ、もだえ苦しむ魂を解放する」といった響きを感じたのである。
> 古典古代の理想は、発掘品をつうじてルネサンス時代のイタリアで「発見」あるいは「再発見」されたのである。これは、イスラームをつうじて間接的に継承されたギリシア哲学との大きな違いである。モノとして目の前に出現して、初めてルネサンス当時の人びとは、キリスト教支配とは無縁の古代ギリシアとキリスト教公認以前の古代ローマの「理想の身体」をじかに目にすることになったのだ。
> 今回の展示品については、ミケランジェロの傑作2点の彫刻作品以外の作品は、古代ギリシアの彫刻や壺絵を含めて、あくまでも参考品としての展示と割り切ってしまっていいだろう。もちろん、それらにも固有の価値があるのだが、ミケランジェロによって「再発見」され「発展」された「理想の身体」を考えるための参考作品なのだ。
文脈は違うが「どこに生命が宿るか」という視点のこの彫刻論も面白い
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