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アウトライン・プロセッシングのtheoryというものがあるとしたら、それはどのようなものになるか
>アウトライン・プロセッシングtheoryというものがあるとしたら、それはどのようなものになるか

>Theoryという言葉ですが、以下の文章のようなものをイメージしています。
>「生産的なコンセプト、あるいは生態学的な専門用語の「theory」とは、普遍性と個々の問題への適用可能性を、絶妙なバランスの上で言い当てたものである」
> (Carsten F. Dormann. 2017)


実践的な技法ではなく、そのバックボーンとなる原理、ということかなrashita
たぶんそれは、rashitaがアウトライナー文化論で考えたいこととも呼応すると思う。

たたき台rashita
階層を移動することで、異なる視点を立て、二つの極に整合性を持つ、新しい状態を作り出すこと(その状態に項目を配置すること)
一つ上の層に上がることは、一種の相対化であるが、それがある種の絶対性へと近接していく(最上の階層は一つしかない)

こうして考えてみるとrashitaは、アウトライン・プロセッシングのさらに一つ上の階層をイメージしている気がする。
つまりシェイクの普遍性について。