2023年を探さないで
予定は未定です
メイキング的な、
このそれぞれの結末が異なっているわけです
並行宇宙
休日出勤、デニーズでフレンチトーストを食べながら、テーブルのナプキンに走り書きされた「2023年を探す」プロトタイピングの様子
この内容は一つも採用されなかった
書かれたものは所詮、書けるものだったに過ぎない。書かれなかったものの方がはるかにたくさんある
書き出しさえ決まれば、
書き出しさえ決まれば、それは始まる
いつもは書き出しくらいはなんとなくイメージできてるけど
今回は全然ダメでゴロゴロしてた
そんなわけで今回の書き出しは、ゴロゴロしながらスマートフォンでポチポチ打っていた
ほぼそのまま残った
3つ目のブロックまでは一気に書いた。そして止まった
止まってから、とりあえず書いたところをお手軽に整え始めるのは一番の悪手で、ひとまず「ここが着地点だ」と思われる場所まで石にかじりついてでも先に進むことが大事
止まったら、書けたところを何回も読んで、そこから連想した言葉やイメージから、次の文章を書いていく
ここでツジツマを合わせるとか、整えるとか、そういう美しさを求めない
パンチラインにはこだわる
なぜなら書いてて気分が盛り上がるから。好きなフレーズとか引用とかはバンバン貼っていく。最初は引用だらけのときもある
たいていパンチラインは邪魔になって後からゴッソリ消される
書けたところを読んでいると、書いた文章の中から、同じような言葉やフレーズが出て来る。まあだいたい無意識に書いてる。同じ人間が同じ時期に書いてるんだからまあ当たり前といえば当たり前
意図がないところに意図が浮かび上がってくる。偶然が起こっているような気がして盛り上がってくる。こういうのをつなぐようにして続きを書く
そうするとあるところからは、書いている文章の方が勝手に先に進んでくれるようになる
ツジツマを気にした途端に止まったりする
正解であろうが、不正解であろうが、とりあえず着地する。そこからが始まり
書きたいこととか言いたいこと基本的にないので、そういうんじゃなくて、とにかく「 ここが着地点だ」ぽいところまで行く
着地点は本当の着地点というよりは「 ここを着地点とする」という決断みたいな感じ
今回、着地点は少なくとも3回、全面的に書き換えられた
一番、インターネット的ではない着地点になった
終わりは唐突で良い、いつでも終われる、ということはここで強調しておきたい( 来年の自分のために)
引用がちょうどハマる瞬間
> 理解できる言葉をつなげてなんとか世界をつくっていくけど、理解できる言葉以外のものは世界にありすぎたし、
いつもの冒頭に引用を置くんだけど、今回、もう一つ候補があって、
これ、もったいなかったから、参加者のコメント欄に貼ってて
で、実際の文章の中でも引用した
狙ってたんじゃなくて、ちょうどハマる瞬間があった
「 ここだ!」
そういうシンクロニシティみたいなのが毎年起きる
> かつて僕は「 Tumblr とはなんだったのか」「 Reblog とはなんだったのか」ということについて、「決定的な」文章を書くことが、自分に課せられた役割なのではないか、なんて考えていたことがあった。
> Twitter が X になってたぶん本当に「決定的な」変化が起きているんだな、とみんなが覚悟を決めたのが、今なんだと思うけど、
> その今、僕は、今回書いた文章で、「インターネット」的な言葉をことごとく削除していった、っていうのはどういうことなのかな、とか思った。