> 自分自身のタイムラインを AutoPagerize することはあまり考えたことがなかった。実際にその過程で見たこと感じたことのうち文章に出来ることはほんのわずかでしかない。そして書かれなかったことはまたきっとあっという間に忘れてしまうだろう。それだけじゃなくて書かれたことも忘れ去られてしまう。書くことにはそういうところがある。書いて忘れる。忘れることで先に進む。わたしたちは毎晩毎晩ゆっくりと死んでいて、毎朝毎朝ゆっくりと生まれ直している。そういうものだ。さあ、そろそろ時間です。 http://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/12/01/095247
> 生と「詩」の話です。時間とか世界とか誰かとか、その重なり合うところに現れるのが「詩」なのか https://twitter.com/taizooo/status/1075166197589524480
> ぜんぜん別の場所にあるものが、重なって見える。いま起こっていることが、いつか体験したことのように感じられる。速すぎてよく見えないけど、出会った瞬間に別れている。それを繰り返している。からだの輪郭が高速に振動して、中と外が入れ替わっている。なんども死んでは、生まれ変わっている https://poem.shikakun.com/benri/
> 愛する人のために死を忘れ、愛する人によって死を思い出す。本人だって知らない間に生と死の間を行ったり来たりしている。諸君らの弾丸は発射されたか? https://bastei.tumblr.com/post/181163530747/%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%98
> 「忘却」と「再生」の話。 ここで話を一気に端折る。バロック時代の演奏法はそれ以降の音楽の進化(古典主義、モダン主義、20世紀の音楽へ)の中でロスト・テクノロジーになっていた。20世紀の最後の30年、そのロスト・テクノロジーの探求がなされた。そして、この軽やかでスピーディーな演奏が再発見されたと。それは「古楽奏法」「ピリオド奏法」と呼ばれた。ということらしい。 この「忘却」と「再生」というループは、歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/11/19/191525#忘却と再生の話
> なにが言いたかったかというと「そういうものだ」はスローターハウス5のセリフで、それが何個書かれているか、というネタは、yomoyomo サンがオリジナルだったのです。この循環する感じを「リブログ的な現象」と言いました https://twitter.com/taizooo/status/1069260929064259585
> スローターハウス5の「そういうものだ」は、「2017年を探す」のとても大事なキーワードだったのと、あの記事はちょっと老害入っているかという気持ちがあったのと、それに対しての「ダンシング・ヒーロー」の話だったから。忘却と再生。循環の話。 http://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/12/03/174253
> ベスト・オブ・ザ・イヤーとは、そういう出会いとか発見とか、または別れとか忘却とか、または循環、輪廻、そして再生の話でもある https://twitter.com/taizooo/status/1074140984093470720
> 2014年、その最初にこの ストリーミング / サブスクリプション に感じたことは2018年のいまでもほとんど変わっていない。 FUNKstudy と呼んでいるこの活動は2007年に始まった reblog 世紀と密接に関係していて、それは自分にとって、インターネットが実世界に滲み出して来た現象でもある。あのとき感じていたインターネットは、終わっている一方で、始まってもいるのだ。 /cd/2018ベスト | taizooo
> 世界を高速で循環させてバターにするのがオレらの役割だ https://twitter.com/taizooo/status/804248718652256256