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アドベント・カレンダーの構造について
アドベント・カレンダーの構造について

> 太古の日本人というのは、自然の中に叡智があって、人間はその叡智をくみとって生かされていると考えていました。神様というのは伽藍の中にあるものではなく、ふらふらと自然の中にあって、雲の上を飛んでいたり、稲のそばにしゃがんでいたり、海の中に沈んでいたり、いろいろなところにいると考えられていたんです。八百万の神様です。

> 大根を収穫すると、引っこ抜いた大根の先に神様がいたりとか、米粒にも七人の神様がいたりするわけです。
> 現代語で「やばい」という言葉がありますが、いい意味にも悪い意味にも使います。この「やばい」ところに神様はいたわけです。怪我をして膿んで、患部を洗うとその膿から神様が生まれたり、というようなことが古事記には頻繁にでてくる。そういうやばいところとか暗いところ、ジメジメしたところとか、あるいはすごくめでたいところなど、いろいろなところに神様はいたんですね。
> そういう、自然の中に潜んでいる神様を呼び込んで力にしたい、そことコンタクトしたいという気持ちが、やがて人間に湧いてくるわけです。でも神様はふらふらと漂泊していますから、アポをとって会いにいったりはできない。どうしたら神様と接触できるかと考えたときに、日本人はこんなものをつくったんです。

> 「四隅に細い杭を立てて、そこに縄を張る。すると空っぽのユニットができあがるわけですね。空っぽというのは満たされる「可能性」があるわけですから、神様はそれを見つけて、ふらりと入るかもしれない

> 「屋根付きのエンプティを「屋代」と言います。これを垣で囲うと神社の基本ができる。何もないところに神様が入るかもしれないという、可能性がそのまま構造化された。

> 四隅に細い杭を立てて、そこに縄を張る。神様が入るかもしれないという可能性に屋根を付ける。これがオレの考える advent calendar ( calend*e*r ) の基本構造です。 https://twitter.com/taizooo/status/930691157088260096