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遅いインターネット 宇野常寛
遅いインターネット 宇野常寛
ーテンプレーーー
日付:200428
選んだ理由:Spoonを始めてから、雑なコンテンツが増えてきていて、面白すぎる社会(インターネット)になっている。このあたりで、ゆっくりと落ち着いてインターネットと関わりたいと思い、購入した
学び:
ファクト:反逆の取り組み、相手の土俵で戦う

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>宇野常寛×西野亮廣「爪や髪の毛のように、あるいはトイレのように。そして午後4時くらいの距離感で」 | 遅いインターネット:https://slowinternet.jp/article/20200217_2/
ランニング 日常的なメディアとして、新聞
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排除されないコミュニティ、ディズニーランドの押しつけ、インスタ映え
>

謝ること、否定できること、信頼関係
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>浅生鴨×宇野常寛 ツイートは3日で自動消去を。インスタには完食後の器を。 | 遅いインターネット:https://slowinternet.jp/article/20200420/
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いかにプラットフォームの色に染まらないかい
プラットフォームをハックする必要がある

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遅いインターネット spoon配信
書評
宇野常寛さん、批評家

最初に、遅いインターネットとはなにか

背景、現在は、インターネットが速すぎる。
また、ボトムアップ的な同調圧力が強い、「考えない」インターネットになっている
深い考えなしに発信することで、愚かになっている

遅いインターネットとは
モノではない、コトの次元での、タイムラインに流されない自立した生き方=「遅いインターネット」
5年、10年にわたって読み続けられるような良質な読み物を、Google検索に引っかかりやすいところに置くこと
その運動を担うコミュニティー(オンラインサロン PLANETSCLUB)で、自分で考え、書く技術を共有すること
また、同時に読者の育成も必要である

閲覧数と収入が比例するのは、問題である
現代では、読む前に書いてしまう。(Twitter)プラットフォームに書かされている
しっかり書くためにも、ゆっくり読む技術も重要である。
タイムラインにYes/Noの反応ではだめで、自分で問題設定ができること
新たな問いをたてることが、批評である。叩く、褒めるの外側に移るべきである

この説明のために、色々と語られている
なぜ、遅いインターネットが必要であるのか

特に、政治についての説明が多い
平成=失敗したプロジェクトである
社会を変えられるのは、政治だけ。現在、民主主義の民が暴走している
日常に根ざした政治活動が必要

一方で、アメリカについては
ドナルド・トランプ大統領の当選、フェイクニュースを信じたい人達の存在
Anywhereな人々:どこでも生きられる人、能力が高い。リベラルで多様性を擁護
Somewhereな人々:どこかでしか生きられない人、保守的で排他的
somewhereな人達の暴走=民主主義の崩壊
テレビ✕twitterで、共同幻想を

自分ー他人、日常ー非日常
他人✕非日常 映画(劇映画)
他人✕日常 テレビ
自分✕非日常 ライブ、シェアする行為、祭り
自分✕日常 ランニング、ヨガ、ブログなど、趣味の領域。ポケモンGo

吉本隆明 戦後を代表する思想家
1968年、共同幻想論 共同幻想からの自立→大衆から市民へ
自己幻想 自分に対する幻想、思い込み? Facebook、insta プロフィール的
対幻想 自分と相手 LINE、メッセンジャー的
共同幻想集団、タイムライン Twitter
3つの幻想を通して世界を理解する

団塊世代、学生運動(共同幻想)を起こしたが、破れて戦後企業戦士として埋没、
昭和のサラリーマン、モーレツ社員、同調圧力
主体的意識がないとまずい
共同幻想、集団として、イデオロギーへの依存、埋没が危険である

糸井重里、吉本隆明の弟子として、
消費社会への批判、ほぼ日、1998年から
ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア
→遅いインターネットに近い感覚
現在では、モノを販売しているサイトになっている
しかし、コトからモノへの逃避であり、誰しもが高価なモノを変えるわけではない

SNS、肥大化する自己幻想からの自立
共同幻想であるタイムラインを触媒として、「いいね」=対幻想によって自己幻想が肥大化
弱い自己=タグ付けに夢中、短絡的な批判、同意
強い自己=誰かのタグになる
自己幻想の肥大の抑制のための、遅いインターネット

自分の解釈だが、新しい時代の情報リテラシー(読み書き能力)

遅いインターネット、自分で読んで書ける人
強い言葉を使わない、流行りに流されない
傍流シンドローム、サンドウィッチマン、流行らないようにしている、そういう人が、今トップに来ている
somewhereな人をanywhere化していく、速い人を、遅くしていく、そういう概念が遅いインターネットの運動

遅くても、結局面白いコンテンツが増える一方
困ってしまう。自分を持って、情報を摂取していくべきか。
思ったことを、すぐにそのままは発信しないようにしたい。しかし、反射的に発信してしまうことも多い。
いいものは時間がかかる。自己満足でいい。他人からの評価を気にせず、自分の評価を高めていく必要がある。

自論:人間、書くよりも話すほうが得意なのでは。Spoon、自分の意見を持っている人が結構いる。遅いインターネット、オンラインサロンで閉じるのではなく、オープンであるべきと思う。運営にお金かかるからしょうがないが。
自分もなるべく遅く発信していこうと思う。

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地域コミュニティでの政治活動
現在は、テーマコミュニティ、中間的な共同体が必要
新しい団体によるロビー活動、陳情を中心とした政治活動が必要
→オンラインサロンによる政治活動?が増えてくるかも

世界に素手で触れている感覚
Anywhereな人達だけ

見たい夢だけを見る人達のための、現在のエンタメ

エンタメ
大きな物語:アベンジャーズ
大きなゲーム:ポケモンGo

googleの方向性、ここではないどこか(VR、仮想現実)ではなく、いまここを豊かにする(AR、拡張現実的)ゲームを提示

一方、ディズニーは、映画を見て、感想をシェアするまでの体験を提供

写真が画像へ、映像が動画へ
他人の物語ではなく、自分の物語
ドラマ的映画、有名作のリブートは、映像の世代の動員のための最適解
→見たい夢だけを見る

吉本隆明 思想家
戦後を代表する思想家
共同幻想からの自立
1968年、共同幻想論
自己幻想 自分に対する幻想、思い込み? Facebook、insta プロフィール的
対幻想 自分と相手 LINE、メッセンジャー的
共同幻想 集団、タイムライン Twitter的
3つの幻想を通して世界を理解する

団塊世代、学生運動(共同幻想)を起こしたが、破れて戦後企業戦士として埋没、
昭和のサラリーマン、モーレツ社員、同調圧力
主体的意識がないとまずい
共同幻想、集団として、イデオロギーへの依存、埋没が危険である
→自分で考える

糸井重里、吉本隆明の弟子として
消費社会への批判、ほぼ日、1998年から
ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア
→遅いインターネットに近い感覚
現在では、モノを販売しているサイトになっている
しかし、コトからモノへの逃避であり、誰しもが高価なモノを変えるわけではない

モノではない、コトの次元での、タイムラインに流されない自立した生き方=「遅いインターネット」

SNS、肥大化する自己幻想からの自立
共同幻想であるタイムラインを触媒として、「いいね」=対幻想によって自己幻想が肥大化
弱い自己=タグ付けに夢中、短絡的な批判、同意
強い自己=誰かのタグになる
自己幻想の肥大の抑制のための、遅いインターネット