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気品というものは第一代の修養だけでは十分には得られない

すなわちそこには、遺伝とかあるいは生まれつきとか、とにかくそこにはある先天的なものが働いているわけであって、それに対しては後天的な人間1代の努力修養だけでは、どこかに及び難いところがあると言えましょう
どうしてもこの厳しい現実の前に目を覆ってはならないと思うのです
真の気品というものは、人間1代の修養のみではその完成に達し得ないほどに深いものであると同時に、多面でまた気品を身につけるには依然として修養によって心を清める以外にその道はないことが明らかなわけです
内心の汚れを除くことすなわち慎独、独りを慎むということ
人間がただ一人いる場合にも深く己を慎むということです