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認識論
認識起源本質方法限界などについて考察する 哲学の一部門。知識論
認識論で扱われる問いには次のようなものがある。
人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。
人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。
ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。
人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。
「ぼくは認識論をやっています」などというと何かとてつもなく深遠な研究をしているように思われそうであるが、認識論とは、要するに、 あることを知っているとはどういうことかとか、 われわれはどうやってある事柄を知るのかだとか、 100パーセント確実な知識は存在するのか などを研究する学問である。
したがって、「あんたね、彼のこと知ってるっていうけど、 ほんとうに彼のこと知ってんの? それに、もしそれがほんとだとしたら、いったいどうやって彼のこと知ったのよ?」というのは、認識論的な問いであると言える。
また、たとえば、 イデア論とか、 生得観念説とか、 経験論とかは、すべて認識論の立場である。
なお、同様に難しそうに見える言葉として、 形而上学存在論が挙げられよう。
テアイテトス (対話篇)