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肥後守
肥後守は明治20~30年代、三木の金物商、重松太三郎が九州から持ち帰った刃物を折り畳めるように改良して誕生したとされる。
手のひらサイズと手頃な価格が受け、子供の鉛筆削り用として全国に普及した。
しかし昭和35年(1960年)、当時17歳の少年が社会党委員長を刺殺した事件を機に、刃物追放運動が起こると注文が激減した。