ビリーバビリティ
かんたんな理解
ガァと鳴けばそれはアヒルなんだよ、的な
本物かどうか、定義を100%満たすかどうかは関係がない
「っぽい」と感じられたらそれで良い
創作の文脈
ある(現実世界Rとは異なる)世界Wにおいて、整合が取れていること
例
「人間が5m跳躍できる世界W」があったとする
現実から考えればありえない
が、Wの中でちゃんと整合が取れていて納得ができればそれでいい
ビリーバビリティが高いと言える
UI/UXの文脈
まだよくわかってないです
リアリティよりも、という文脈
>虚構の体験を現実と信じられるかどうかのほうが、体験がリアル(=現実に似ている)ことより大事かもみたいな話
>Kinetoも、他人と同期している, リアルタイムであると信じられることが肝
リアルタイムである、と信じているなら実際にリアルタイムであるかどうかはどうでもいい
>もっともらしさ。いかにもありそうな感じ。小説などの創作物におけるリアリティー(現実感)をいう。
んん?これはリアリティの一種では?
一種というより別物というイメージ抱いてるんやが
リプで「説得性」言うてる
いかにユーザーを騙すかってことなのかと思ったりした
いまいち見えないなぁ
ある世界観Xにおける整合性← これだけだとまだ足りない?足りる
「現実という世界観R」にもある程度似ていること ← このニュアンスもある?ない?
もう少し厳密にするとこうか
ある世界観Xにおける(現実の)整合性
極端な話、「人間が100m跳躍できる世界X」であっても、Xの現実内でちゃんと整合が取れてれば問題ない
現実Rの仕様との違いはどうでもいい
あとはblu3moさん(というよりUI/UX)の文脈
創作のように「現実とは違う世界観X」がないから、ビリーバビリティとはちょっと違う気がする
創作だとこう
Xの中にある「現実」の整合性が取れていることを、Realの中から観測する
UI/UXの文脈ではこう
Realの中にある、Xというツールという位置づけ
まだRealにいるので、ビリーバビリティというよりはリアリティかなって思ってる
ふむう
創作のように「異なる世界観」を出せるほどのUI/UXであれば、ビリーバビリティになる?
というより、出せなければ(ビリーバビリティをそもそも扱えないという意味で)話にならない?
プログラミングはつねにビリーバブルと言える?
というか整合性を記述してそのとおりに動かしているので、ビリーバブルにしかならない
こう捉えると、ちょっと捉え違えしている感がしてきた