ダダイズム
「ダダ(Dada)」
「ダダイズム(Dadaism)」
20世紀初頭のヨーロッパの前衛芸術運動
1915~
表現形式
視覚美術
文学
詩
宣言
論理
映画
グラフィックデザインなど
幅広く含まれる。
コラージュ
音詩
カットアップ
彫刻などの視覚的、文学的、音響的メディアを横断して行われた。
ダダイスムは
第一次世界大戦下の鬱屈した現実の反動として発生した。
おもに伝統的な芸術を拒絶し
政治的には反戦を主張する運動だった。
ダダイズムは現代資本主義の論理
理性
美学を否定し
無意味、不合理、反ブルジョア的な要素を含む表現をする芸術家たちが中心になって展開された。
暴力、戦争、ナショナリズムに対して不満を表現し
急進的な極左との政治的親和が高かった。
ダダイスムがほかの前衛芸術と異なるのは
「これは捨てるが、あれは取る」の部分否定ではなく
ハンス・リヒターによれば、ダダイスムは芸術ではなく「反芸術(Anti-art)」だという。
これまでの伝統的な美術様式に沿った美学をダダイスムは無視した。
「ダダ」という運動名の由来に対する明確な意見の合意はない。
よくある話では、ドイツ人芸術家のリヒャルト・ヒュルゼンベックがペーパーナイフを辞書に無造作に挿入したときに現れた言葉が「ダダ(木馬のフランス口語)」だったというものである。
また、「ダダ」という言葉は、子どもが最初に発する言葉のように思えるため、
子どもらしさと不条理さを呼び起こす芸術性として付けられたと論じるものもいる。
ほかには、世界的な運動の広がりを反映して、どの言語においても似たような意味(あるいは全く意味がない)を想起させることを目的として
「ダダ」という言葉が使われたのではないかと推測するものもいる。
ダダのルーツとなっているのは第一次世界大戦前の前衛芸術である。
視覚芸術においては
キュビスムから発展したコラージュ技法
ワシリー・カンディンスキーの抽象理論を融合させ
現実や既存の慣習の制約から逸脱することに成功した。
そこには「作者」の創造力や技術を否定し、作品のなかに日常生活の雑多な要素を持ち込み
芸術を特権的な地位から引きずりおろそうという意図があった。
言語芸術においては、フランスの詩やドイツ表現主義の文章を融合させて、言葉と意味の親密な相関性を破壊した。
ただし、デュシャンやピカビア率いるニューヨーク・ダダは
1915年から活動しており、スイスで発生したダダ運動を起源としておらず
個別のムーブメントとみなすのが一般的である。
ダダの先駆的な芸術運動である「反芸術(Anti-art)」という言葉は
1913年頃にマルセル・デュシャンが作った言葉で
この言葉をもって最初のレディ・メイド作品を制作した。
また、ニューヨーク・ダダはほかのダダイズムと異なり政治的問題と関連した動きは見られなかった。
ほかに、アルフレッド・ジャリの演劇『ユビュ王』やエリック・サティのバレエ『パラード』は、ダダイズムの先駆体とみなされている。
ダダ運動の信念は1916年にフーゴー・バルのダダ宣言に最初に集約された。
重要人物は、トリスタン・ツァラ、フーゴー・バル、エミー・ヘニングス、ハンス・アルプ、ラウル・ハウスマン、ハンナ・ヘッヒ、ヨハネス・バーダー、フランシス・ピカビア、リヒャルト・ヒュルゼンベック、ジョージ・グロッス、ジョン・ハートフィールド、マルセル・デュシャン、クルト・シュヴィッタース、ベアトリス・ウッド、マックス・エルンストである。
この運動は後の前衛芸術やダウンタウン・ミュージック運動、シュルレアリスム、ヌーボー・リアリズム、ポップ・アート、フルクサスのなどのグループに影響を与えた。