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Evergreen notesのコンセプト

まだ、日本では注目されていませんが、「Evergreen notes」というコンセプトがあります。

Evergreenとは、常緑や不朽を意味する英語の名詞・形容詞で、Evergreen notesとは、「死蔵」の逆ということになります。決して朽ちない、むしろ常に成長を続ける、そんなノートのことです。

そのEvergreen notesは4つの原理を持ちます。

Evergreen notes should be atomic
Evergreen notes should be concept-oriented
Evergreen notes should be densely linked
Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies
Write notes for yourself by default, disregarding audience(2022/3/5追記)

それぞれ見てきましょう。

・Evergreen notesは原子的であるべき

梅棹のカード法で言えば、「一枚のカードには一つの事柄だけを書き込む」が相当します。ただし、これは言葉にするほどには簡単なことではありません。「一つの事柄」の粒度がハッキリしていないからです。

まず、複数の項目が含まれていたら、ややこしくなるのは簡単に想像できます。たとえば、Evernoteのショートカットキーと、Scrapboxのショートカットキーと、Ulyssesのショートカットキーが、すべて単一のページにまとまっていたら、必要な情報がピックアップしにくくなります。

一方、すべてのショートカットキーに対して、一つずつページを作っていたら、今度は情報が分散しすぎてしまいます。ある程度のまとまりが必要なのです。

このことを、Evergreen notesの提唱者であるAndy Matuschakは、「Evergreen note titles are like APIs」と表現しています。

たとえば、Evernoteからノートの情報を取得するAPI(Application Programming Interface)について考えてみましょう。何かしらのキーワードで検索して、返ってきたノートリストの一覧から、必要なノートを選択して、そのノートの情報を取得する、というプロセスをとる場合、そのAPIは、「ノートのメタ情報をすべて返す」という機能を持っています。APIの利用者は、そこからたとえばノートのタイトルを取得したり、作成日や中身を取得したりするのです。

このAPIが細かすぎる場合は、「ノートのタイトルだけを返すAPI」「ノートの作成日だけを返すAPI」「ノートの中身だけを返すAPI」となってしまい、利用者はかなり多くのコマンドを覚えなければなりません。

一方で、APIが粗すぎる場合は、「キーワードを含むノートの全情報が返ってくる」となってしまい、結局またそこから必要なノートの情報を探さなければなりません。

そう考えると、まず対象のノートのメタ情報が一式返ってきて、その中から特定のものを抽出する、という設定は絶妙な粒度であるとわかります。

同じ考え方をノート(のタイトル)に当てはめるのが「Evergreen note titles are like APIs」です。

適切に内容とタイトルが設定されたノートは、そのタイトルが内容の概要を示しています。そのタイトルを示せば、そこに含まれる内容が過不足なく指定できるのです。別の言い方をすれば、タイトルによって概要が示せるように内容を調節することが「一枚のカードには一つの事柄だけを書き込む」ことになります。

この状態を保つことが、「Evergreen notes should be atomic」です。

それが維持されていれば、ノートのタイトルを引用することで、そのままその内容を示唆することができます。実際、Andy MatuschakのWebページは、見事に文章とタイトルへのリンクが合致していて、美しさすら感じます。

・Evergreen notesはコンセプト指向であるべき

コンセプト指向(concept-oriented)とはコンセプトベースでノートを作る、ということですが、ようするに以下のようなものではないと理解すればいいでしょう。

著者別、本別、イベント別、プロジェクト別、トピック別

たとえば、『Scrapbox情報整理術』という本を読んでいたく感銘を受けたとして(あくまで仮の設定です)、その際ノートを取るなら、『Scrapbox情報整理術』というタイトルのノート(ページ)を作るのではない、ということです。

そうではなく、その受けた「感銘」をベースにノートを取ることが、コンセプト指向ということです。たとえば、それは以下のようなタイトルになるかもしれません。

「Scrapboxは、メモ帳のように気軽に使えるWiki」
「個人の情報整理を簡単にする便利な工夫」
「日本発のWebツールには頑張ってほしい」
「倉下忠憲の本はわかりやすく面白い」(あくまで仮の設定です)

このようにノートを取ることで、情報が本から「浮かび上がって」きます。簡単に言えば、本と本を越境して、情報がつながるようになるのです。

「Scrapboxは、メモ帳のように気軽に使えるWiki」は、Scrapbox、メモ帳、気楽に、Wikiを含む別のノートとつながれる可能性を持ちます。

「個人の情報整理を簡単にする便利な工夫」は、個人の情報整理について書き留めた他のノートとつながり、「日本発のWebツールには頑張ってほしい」は、他の日本発のWebツールについてのノートとつながります。

「倉下忠憲の本はわかりやすく面白い」は、他のわかりやすく面白く本を書く著者との比較や類似性の研究がスタートするかもしれません。

atomicであり、concept-orientedであるからこそ、情報の新しいつながりが生まれやすくなるのです。

ただし、このコンセプト指向でのノート取りは、簡単ではありません。たとえば、本別であれば、本のタイトルでページを作り、その中に気になったことをつらつらと書きつけていけば済みますが、コンセプト指向の場合は、それらの要素に対して適切なタイトルを与えていく必要があります。言い換えれば、コンセプトを立ち上げる必要があります。

その作業は、紛れもなく知的作用の発露であり、非常に疲れるのですが、だからこそ知的生産活動の補助としてノートが機能してくれるのです。

・Evergreen notes は密な結合であるべき

おそらくこの点が、アナログのカード法とデジタルのノート法をはっきりと峻別する要素でしょう。

Andy Matuschakは、Evergreen notesで書かれたノートは、密接にリンクを形成しているべきだと説きます。AのノートがBのノートを言及し、BのノートがCのノートを言及している──そのような構造になっているのが望ましいというわけです。

ただしそのリンクは、自動的に設定されるものであってはなりません。そうではなく、「この情報は、あの情報とつながっているな」と脳内で考える(≒知的作用を走らせる)ことが肝要なのです。

まず、そのように頭を働かせると、自然と自分の過去の情報ネットワークにアクセスするようになります。さらに、自分が過去に書いたノートを読み返すことも起こります。人の脳は、眠りの間にその日の出来事を「再起」して重要なものを残すメカニズムを働かせているようですが、そこでも重要なのは情報が再起されること(≒その部分の情報ネットワークが活性化すること)です。

また、私の体験からいって、情報をatomicかつconcept-orientedで記録していると、このような想起がやりやすくなります。この点を論じ始めると長くなるので今回は割愛しますが、atomicかつconcept-orientedで記録するという動作そのものが、脳内情報パッケージングに一役買っているのでしょう。

とは言え、問題はあります。一つには、過去のノートを読み返すという作業は、アナログノートでは極めて難しいということです。数十冊以上のノートから、求める項目を見つけ出すためには、適切な索引が作成されている必要があり、アナログでそれをやろうと思えば、大いなる手間を支払う必要があります。

また、仮に対象のノートを見つけて、AのノートにBのノートを記述したとしても、その二つの情報をどのように保存しておくのが問題です。もちろん、AとBのノートはそばに置いておくのが良いのですが、CやDのノートでもBに言及したときに、破綻がやってきます。一緒におけるものには限りがあるからです。

ノートにID番号を設定し、その順番通りに並べておいて、カードでの言及時にそのIDを降っておけば、多重に参照されていても、目的のカードをサーチすることは可能ですが、そのシステムを維持するための手間も相当ですし、何より、A→B→Cと続けてカードを読んでいくときに、「えっと、144.33.00で、次が221.00.13で」とかやっていたら時間がかかって仕方がありません。

デジタルのリンクは、この問題をたちどころに解決してくれます。参照している情報がどこにあろうとも、ワンクリックで(ときにはリンクをホバーするだけで)その実体を引き渡してくれるリンク(ハイパーリンク)は、時系列・連続的でない情報のつながりを表現するのにこれ以上のものはありません。

別の言い方をすれば、「デジタルならでのアイデア管理・情報ノートの作成」を志すなら、この「リンク」を欠かすことはできない、ということです。

一方で、これがデジタルツールで実践されるが故に、これを自動化したくなる欲望が湧いてしまう問題には常に注意しておく必要があります。「どうせデジタルなんだから、リンクも自動で」となってしまうのです。それでは意味がないことは冒頭で確認しました。

自分の脳内で情報をつなぎ、その表現としてデジタルノート上で情報が接続される。その二つが両方起きないと知的生産的効果は高まりません。

・階層型分類よりも連想オントロジーを好む

「オントロジー」がやや難しい言葉ですが、ここでは簡単に概念体系としておきましょう。情報を階層的に分類するのではなく、連想によって緩やかにつながっている概念体系を目指しましょう、ということです。

この話は『Scrapbox情報整理術』で議論しましたので、ここでの深入りは避けましょう。簡単に言えば、カテゴリによって階層的に分類すると、その階層を越境するような、新しいカテゴリを創出するような、ノートの組み合わせが生まれてきませんよ、ということです。

人間のサガなのか、それとも日常的に階層型分類に触れすぎているせいなのか理由はわかりませんが、とにかく「整理」となると、先に階層構造を作りたくなってしまう傾向を私たちは持っています。しかし、atomicかつconcept-orientedで、densely linkedな情報群の力を発揮させるには、階層構造では力不足です。

「分類するな」と梅棹忠夫氏も口を酸っぱくしておっしゃっていましたが、知的創造のための知識ベースは階層型分類が主役になってはいけません(だったら、タスク管理のための知識ベースはどうかという疑問が立ちますが、それはまた別の機会に検討しましょう)。

あらかじめ作った階層構造によって情報を分類するのではなく、情報と情報つながりによって一つの体系を作っていくこと。それが目指すべき状態です。そして、それを容易に実現してくれるのは間違いなくデジタルツールです。

この点を考えてみると、Scrapboxは見事に以上の要件を満たせるツールです。実際、見せ方は異なりますが、Andy MatuschakのサイトはScrapboxと同じように言及してあるページを辿って次々に読んでいくことができます。ハイパーリンクと情報整理を念頭におけば、このような形に行き着くのでしょう。