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普段使いの知的生産に小難しい理論はいらない
普段使いの知的生産は、市民が行う活動であり、学問的な高尚さはどこにも必要ない。
なんらかのフレームワーク、理論を作り、それを当てはめるようなものは、まったくそぐわない
距離感がある
現実の多様性に対応できない
小難しい理論や、フレームワークの図示はなんとなくわかった気持ちになれるが、日常生活にどう落とし込めるのかはぜんぜんわからない
単に、それを提唱した人が「すごい人」だとあがめられるだけである。

必要なのは、存外に比喩なのかもしれない。

『思考の整理学』は徹頭徹尾比喩だったが、『知的生産の技術』では比喩の登場は限定的だった。
チャールズ・ウィルソンの霧箱は比喩であろう。
あるいは、そのように読んでいた?
カード法を、一種の比喩だと捉えるとどうなるか?
とは言え、そこに「理論」がなかったことも間違いない。
さすが経済学者である
この二つのギャップを埋めようと考えていたが、そもそもそれは誤ったルートなのではないか。