『段落論』
『段落論 日本語の「わかりやすさ」の決め手 (光文社新書)』
>部屋に散らばる無数の小物をそのまま運びだし、トラックの荷台にバンバン載せていくと、あとで崩れて大変なことになる。
>衣類、食器、文房具、おもちゃなど、種類別にラベルを貼って段ボール箱に詰め、
>それを荷台に積みこむことで、効率のよい引っ越しができる。同様に、文章を書くときも、
>書き手の頭にある無数の「文」を、「段落」という箱に整理して入れ、順々に運び出すことが大事である。
>読み手の頭という新居に荷物が届いたら、ラベルを頼りに仕分けして梱包を解けば、そのまま適切な場所にしまえる。
>文章による情報の引っ越しは、「段落」という箱の使い方にかかっているのだ。
文章の「流れ」と「構え」の交差点としての段落
>段落の作成方法には、複数の文をまとめて組み上げて作っていくボトムアップ式の方法と、全体のアウトラインをあらかじめ設計し、そのアウトラインを細かく分割しながら個々の文を収めていくようなトップダウン式の方法とがあります。しかし、このいずれかの方法だけで段落を作成することは難しく。私自身が本書を執筆する場合、ボトムアップ式とトップダウン式の方法を併用しています。
>執筆過程のなかで、その都度その場の文脈を考えながら一文一文生み出し、それを次から次へと継ぎ足しながら文章という一本の線を紡いでいくこと。これが文章を書くことです。このように、その場の文脈に合わせて即興的に考えながら文を継ぎ足していくボトムアップ式の活動を「流れ」と呼ぶことにしましょう。
>一方、文章を書く人なら誰でも、アウトラインという名の文章構成の設計図を持っています。用意周到な書き手であれば、かなりしっかりしたアウトラインを作り、それにしたがって文章を書いていこうとするでしょう。そうしたトップダウン式の活動を「構え」と呼ぶことにしましょう。
>「流れ」と「構え」はつねに拮抗する存在です。「流れ」が無目的に走り出そうとすると、「構え」がそれにストップをかけます。一方、「構え」が「流れ」を無理に押さえつけようとすると、「流れ」がそれに反発します。予定していた「構え」のとおりに書けないのは、設計図としての「構え」にそもそも無理があるためであり、「構え」を「流れ」に合わせて修正していくことで、自然な流れの文章ができあがっていくからです。このように、文章とは、「構え」と「流れ」の絶え間ない戦いの過程であり、両者の調整の歴史です。書き手によるそうした調整の歴史が文字として残り、それを読み手が文章として読んで理解していくのです。そう考えると、段落は「流れ」と「構え」が出会い、調整をする場だということになるでしょう。ボトムアップ式の活動とトップダウン式の作業がクロスする交差点なのです。