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『偶然性・アイロニー・連帯: リベラル・ユートピアの可能性』
出版社 :岩波書店(2000/10/26) ISBN:4000004492
>人間の連帯は、真理の哲学的な探求によって可能となるものではない。他者への残酷さに対する感性を想像力によって拡張することで達成されるべき、目標なのだ。20世紀後半を代表する哲学者が、ありうべき社会はいかに構想されるかという課題に、永遠なる自由の実現というリベラル・ユートピアの可能性を提示する。
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>目次
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>序文
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>序論
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>第Ⅰ部 偶然性
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>第一章 言語の偶然性
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>第二章 自己の偶然性
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>第三章 リベラルな共同体の偶然性
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>第Ⅱ部 アイロニズムと理論
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>第四章 私的なアイロニーとリベラルな希望
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>第五章 自己創造と自己を超えたものへのつながり──プルースト、ニーチェ、ハイデガー
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>第六章 アイロニストの理論から私的な引喩へ──デリダ
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>第Ⅲ部 残酷さと連帯
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>第七章 カスビームの床屋──残酷さを論じるナボコフ
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>第八章 ヨーロッパ最後の知識人──残酷さを論じるオーウェル
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>第九章 連帯
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>訳者あとがき
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>人名索引
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辻井健吾 (ナレーション)

メモ
生きることと、詩を書くこと
死んだメタファーと生きたメタファー
すべてはメタファーで、しかし生きたメタファーと死んだ(枯れた)メタファーがある
枯れたメタファーがあるから、日常的なコミュニケーションが楽に行える
具体的にしか話せなくなること、抽象的な思考ができなくなること。それで失われるものがあるのだろう。
再記述(英語では?)
デイビッドソン
未目的・未道具
後から振り返ったときに道具として記述できるもの
それぞれの語彙・多元式な捉え方
アイロニストはその理論を必要としない。 2024/11/16
断片。 2024/11/16