>珊瑚礁のまわりで群れをなす魚のように、導きあう男たちが夜の底をクルーズする――。ゲイであること、思考すること、生きること。修士論文のデッドラインが迫るなか、動物になることと女性になることの線上で悩み、哲学と格闘しつつ日々を送る「僕」。気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説。
>ああ、今確認してみたら、中島先生が駒場に着任した2000年は、ちょうど彼が36歳のとき、それはまさに今の僕の年齢なんだ。そのとき僕は21歳だった。中島先生が表象文化論に来て、最初に卒論を出したのが僕のもので、そのタイトルは「『贈与論』の逃走線」だった。