9722_卒業式と賢治と金治郎
雨ニモマケズの中にある、『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』。「そういう私だ」と、賢治は言っているのではなく、「そういう私ではないから、そういう者に私はなりたいのだ」と言いたいのではないでしょうか。
薪を背負いながら、時間を惜しむように勉強している、校門前の金治郎(二宮尊徳)も、今日は、6年間見守り続けた子どもたちの、旅たちが嬉しそうでした。私は心の中で賢治の「雨ニモマケズ」を思うのでした。私と娘( 2018.03.25) 初めて、娘と向かい会ったときに、ふと、『雨ニモマケズ』が頭をよぎったのは、おそらく私自身が、日々の仕事の中で、負けそうになっていたからでした。
自分が「主役」になるのではなく、「脇役」になって、周りの人たちを、幸せにできるひとになってほしい。周りの人たちを幸せを、自分の幸せと、感じられるひとになってほしい。
ですが、いくつかの失敗を抱えていた私には、このことが、とても難しかったのです。
私は娘と、随分年齢が離れています。娘が今の私の年齢になったときも、私は今日のように、早朝から記事を書いているのでしょうか。それとも、私は『卒業』しているのでしょうか。
おそらく、『私の人生』は私自身に対して、賢治が願っていた、「サウイフモノ」に、なることを求めていないと思うのです。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と、願い続けていくこと、それを『私の人生』は、私自身に求めていることだと思うのです。