9716_意味を担っているように現れた、階段と一体となる吹き抜け
このお住まいのご依頼を頂いた時の、最初の打ち合わせでのことです。住まいてさんの希望、家族構成や必要な部屋などの諸条件を聞いていたとき、ふと、ひとつのイメージが思い浮かびました。それは「吹き抜け」でした。吹き抜けと一体となる階段を、子どもさんたちが笑いながら、駆け上がっていく場面でした。その後、設計中も工事中も、この「吹き抜け」のイメージは、片時も私から離れることはありませんでした。
3階から2階へと降りてくる階段の途中の踊り場から、LDKを見下ろします。私はこの景色が好きです。この先もこのお住まいを思い起こす時は、この景色が心に浮かぶことでしょう。高さ( 2018.03.31) なぜ「吹き抜けが住まいの中心となる」と思い浮かんだのか、
私は住まいてさんに、明確に説明できませんでした。
そもそも、私自身がよくわかっていないのです。
実のところ、たくさんの図面を書いたとしても、
住まいの全体が、わかっている訳ではないのです。
吹き抜けはデメリットもあります。納戸にするよりも価値があるのか... 。
ですが、「吹き抜けが住まいの中心となる」というイメージこそ、
この住まいにとって、ここで暮らし始める住まいてさんにとっての、
最良の選択なのだ、という確信はありました。
そして、工事が進行していくにつれ、その確信は高まっていきました。
には、こんなことを書いています。
>天井のように見える、細い板を並べて、合板でふさいでいる所が、
>2階から3階への階段と、3階につながる吹き抜けです。
>このお住まいで、もっとも大切な役割を担う空間です。
>キッチンから一歩でると、吹き抜けを見上げることができます。
>何ヶ月後、なのでしょうか。キッチンで夕食を作っていると、
>どこからともなく、「ママ!」と、聞こえてくることでしょう。
>おそらく、そのいたずら主は、階段からぐるりとつながる、
>ですが、調理中の香りが、3階の廊下にただよいだすと、
>いたずら主は姿を表し、キッチンへと降りてくることでしょう。
みなさまは、イタリアの現代作家、イタロ・カルヴィーノをご存知ですか。
『私の書く話の起源(もと)には必ず何らかの視覚的なイメージがある』
カルヴィーノの作品の随所に、建築にも当てはまるヒントがあるのでした。
>物語を考案するとき、まず私の心に浮かんで来るものは一つのイメージであって、
>それは何らかの理由で意味を担っているもののように現れるのです。
>たとえ、そのときにはその意味を私自身が言葉として、
>あるいは観念としてはっきり言い表わすことができないとしても。
イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ』朝日新聞社 1999
>ところが、そのイメージが心のなかで十分に明確なものとなって来ると、
>たちまち私はそれを一つの物語に展開させ始めます。というよりも、
>むしろそれらのイメージそのものが物語を展開させてゆくのです。
イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義―新たな千年紀のための六つのメモ』朝日新聞社 1999
私はこの吹き抜けを見上げたとき、長らく会っていなかった幼なじみと、
ようやく再会できたような、そんな懐かしい気がしたのです。
そして、この階段と一体となったLDK。常に、お互いの気配を感じられ、
このお住まいでは家族どうしが、喧嘩をしたままでいるのは困難でしょう。
吹き抜けよ、空からの光を階下へ配光するだけが、あなたの役割ではない。
「家族のつながり」を、しっかりと目に見えるようにしてくれませんか。