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シュルレアリスム
これはシュール/レアリスムではなく、シュルレエル/イスム。即ちシュールな写実主義ということではなく、超現実主義(A/BではなくA/A’的な)

本書の序文で語られていた造語「シュルレアリスム」が語源


実験概要
アポリネール死去後、1919から始めたエクリチュール・オートマティック実験(フィリップ・スーポーブルトン)をまとめたのが本書
ブルトンとスーポーが書く速さを加速すればするほど、幻覚を見たり死を認識するほど心身に以上をきたし、同時に自己の要素が抜け落ちて物だけが脈絡もなく連なるようになった。そしていくところまでいくと自分でない何者かが筆を走らせる神がかり的な状況に陥る(ジュリアン・ジェインズ二分心ぽい)
それで「自動記述」の実験でわかってきたことは、どうやら物を書くことをそのスピードに応じて段階化してゆくと、最終的には自分が書くというところから、「だれか」が自分を書くとか、「だれか」によって自分が書かれるとかいう状態に行く。書かれたものは主語や動詞がだんだんなくなってゆく。~シュルレアリスムがその後、オブジェにとりつかれるようになるのは、ひとつにはこういう体験がはじめにあったためです。~いいかえれば、主観にもとづいて幻想を展開するのではなく、むしろ、客観が人間におとずれる瞬間をとらえるのが、シュルレアリスムの文学や芸術のありかただということになるでしょう。
経緯
ブルトンにおいてはジャック・ヴァシェのアヘンによるオーバードーズでの変死や、第一次世界大戦による価値観の変容が、モノを書く行為の欺瞞に繋がったのではないか。
ピエール・ジャネ『心理学的自動現象』において「霊媒」による自動書記の記述があり、これにインスパイアされたとスーポーは証言している。


3月に自動記述を再開して下記書を発表した。
フロイトの傾倒
>そのころ私はまだフロイトに没頭していたし、彼の診断方法に親しみ、戦争中にはそれを患者たちに適用してみる機会もすこしばかりあったので、そこでは患者から得ることをもとめられているものを、つまり、できるだけ早口に語られる独り言を、自分自身から得ようと決意したのだった。すなわち、被験者の批判的精神がそれに対してどんな判断もくだすことがなく、したがってどんな故意の言いおとしにもさまたげられることがない、しかも、できるだけ正確に語られた思考になっているような独り言をである。
アルトーは1924年、シュルレアリスム運動に加わるも、ブルトンと衝突。1928年、除名された
アントナン・アルトーとは決別したが、精神病院からの退院後、交流を再開している。
バタイユも除名する

1928『ナジャ』:ブルトンの自伝的小説
非目的論的世界観=自由意志の肯定
>ただ、この世界が何らかの目的に基づいているとする考え方は退けている
情熱の招待
>情熱を知っているという私の自負を、また情熱の前で、情熱の前でのみ私が自分に望むあくまでも謙虚な気持を、どうしてすべて根こそぎにすることなどあるものか?私は情熱のくだすどんなに神秘的でどんなに苛酷判決に対しても、異議をとなえたりはしないだろう。そんなことをするのは、情熱が世界におよぼすにか根拠のない支配力によって、世界の流れをとめようとするのにもひとしい。
>「情念引力」 物質引力を情念界に敷衍したもの
これはエクリチュール・オートマティックにて、「だれか」によってひきよせられる感覚と対応して考えられる。

後期ブルトンの論文