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悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える

アーレントは、全体主義を 「大衆願望を吸い上げる形で拡大していった政治運動」 と捉えた
独裁体制権威主義とは全く違う
ヨーロッパ社会に 「大衆」 の存在が浮上し、その特質が論じられるようになったのは 19 世紀の終わりごろから
強調されたのは市民との違い
市民は、自分たちの利益や、それを守るためにどうすればいいかを明確に意識する
自由平等に関する自らの権利を主張し、要求を実現するために各種の政党を結成することに熱心な人たち
大衆は、何が自分の利益なのかわからない
国家政治家が何かいいものを与えてくれるのを待っているお客
大衆は、深く考えず、周りに合わせ、没個性的に漫然と生きる
景気が悪化し、社会が不穏になると、安直な安心材料やわかりやすいイデオロギーを求める → 全体主義につながりやすい
全体主義を動かしたのが大衆
第一次世界大戦に敗れて、領土が削られ、賠償金で経済もひっ迫していたドイツ
さらには 1929 年の世界恐慌
不安と緊張にさらされた大衆が求めた世界観にあっていたのがナチズム
第二次世界大戦時のユダヤ人絶滅計画の責任者だったアドルフ・アイヒマンは、平凡な官僚だった
アーレントのアイヒマン像は、読者の批判を浴びた
怒りの矛先を失ったためだと思われる
アイヒマンの服従の姿勢は、一般的な普通の人にも起こりえるもの