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華厳Kozanebaまとめ
Kozanebaを「難解な文章を噛み砕いて理解することの支援」に使ってみる実験(Kozaneba:『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成)の副産物
華厳まとめは理解の検証のために自分の言葉でまとめたもの
自分の言葉で語ったのでオリジナルのキーワードとの間のリンクが失われている
オリジナルのキーワードを活かしたまとめが必要
それがこのページ


仏教の究極目的は瞑想の実践による「永遠無限絶対の存在」との合一であり、それによって生死の世界を超脱すること。
この「永遠無限絶対の存在」とは、とかとかとかとか「真諦」とか「非有非無の中道」とか「蓮華蔵世界にいるビルシャナ仏」とか呼ばれている

中国の伝統的思想である荘子と、インド仏教由来の華厳経が中国において融合し華厳宗に始まる華厳哲学の流れになった
華厳経は超時間空間的な次元である「蓮華蔵世界」にだけ注目していた
華厳哲学では我々の身近な世界との関係を考えた
これを鈴木 大拙は「天上的栄光を地上に連れ戻した」と表現した

華厳宗の開祖 杜順 の思想(上記)を第四祖 澄観 が整理した
杜順は悟りの世界を3つの段階に分けたのだけど、澄観はそれに迷いの世界「事法界」を加えて4つにした
この「」は個物のこと
すべての個物は固定的実体を持たない、という悟りを開いた世界が「理法界
この「」は「永遠無限絶対の存在
個物は理が枝分かれして現れたものであり、さまたげなく理が事になり、事が理になる
この悟りを開いた世界が「理事無礙法界
「礙」は障碍の碍の正字で「さまたげる」「さしつかえる」の意味
上記の悟りを踏まえて「事」の世界に戻ってきて「すべての個物も互いに移り合う存在だ」と悟りを開いたのが「事事無礙法界

「理事無礙法界」の時点で、すべての個物「事」に「自己」も含まれることに注意
主体としての自己客体としての世界を対置していては自己という個物と「理」が合一できない