清教徒とイングランド国教会の違い
イングランド国教会はヘンリー8世の下でカトリック教会から独立したものの、カトリック的要素を一部保持している。
清教徒はプロテスタントの一派で、イングランド国教会の「純化」を求めた。
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清教徒はプロテスタントでイングランド国教会はカトリック?
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いいえ、その理解には誤りがあります。以下、詳しく説明いたします。
清教徒は、イングランド国教会(Anglican Church、またはChurch of Englandとも呼ばれる)の中の一派として生まれました。
彼らは、イングランド国教会がカトリック教会からの独立後も、カトリック的な慣習や儀式を多く残していると感じ、これらを「純化」するための改革を求めました。そのため、「純化を求める者たち」という意味で「清教徒」と呼ばれました。
カトリック的な慣習や儀式を多く残しているから
純化を求めるのね、なるほど
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清教徒はプロテスタントの一派であり、
カルヴァン主義の影響を強く受けていました。
イングランド国教会 (Church of England):
イングランド国教会は、1534年にヘンリー8世の下でローマ・カトリック教会から独立し、イングランドの公式な教会となりました。...清教徒もイングランド国教会も、どちらもプロテスタントです。ただし、イングランド国教会はその成り立ちや歴史的背景から、一部のカトリック的な要素を保持しています。
ヘンリー8世の時代、ローマカトリック教会は離婚を禁止していて、独立後にヘンリー8世は何度も離婚しているという理解でOK?
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あなたの理解は一部正確ですが、詳細を少し補足します。...ヘンリー8世は、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚を解消するために、ローマ・カトリック教会に婚姻の無効を認めるよう求めました。しかし、教皇がこの要求を認めなかったため、ヘンリー8世はイングランド国教会をローマ・カトリック教会から分離・独立させました。...その後も彼は6度結婚しましたが、それらの結婚も離婚や死別、またはその他の理由で終わりました。...彼自身が何度も「離婚」したわけではありません。彼の結婚の歴史は複雑で、結婚の無効宣言や妻たちの運命など、さまざまな出来事が含まれています。
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あー、なるほど「結婚手続きに瑕疵があったので結婚は無効である」という形での「結婚状態の解消」は「離婚」ではない、という考え方なのね。僕は「離婚」という言葉にはこだわりがないのでそれでいいです