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時間軸逆順の整理
例えば二人の対話では、対話を進めるうちに言語化されてなかったものが言語化されたり双方の知識が増えたり新しい気づきがあったりするので、後の方ほどより豊かな世界描写のはず

時間軸順のチャットログや議事録は、その過程での時間の流れを追体験するのには向いている
しかし「重要なものを先に持ってくる」ことではない
重要なものを先に持ってくるのは、情報を再度読む時のために整理する上での有用な指針
人は通常上から下へと読むので、重要なものが上に来るようにすれば「ざっくり重要なところを知りたい」「細部まで知りたい」などの需要に応じて読むのにかかる時間を調節できる

たとえばKozanebaで、時間軸の逆順で、新しい発言から順に配置していったらどうなるか?

感想
複数の投稿に分かれた、一部自分のものではない言葉をKozanebaで整理した
時間軸と逆順で整理することに強いメリットは感じなかった
Kozaneba上で整理した後で「大事だ」と思ったものと、整理する前の「最後の投稿」とは一致しない
整理している最中にどんどん新しい気づきが生まれた
特に複数人の投稿を整理する場合、先に出現した投稿の一部を引用しているケースがあり、その場合「先の投稿」が先にこざねになってる方がやりやすい

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間を埋めるものを考えた結果「シチュエーション=目的」と「顧客は本当にそれを求めているか?の拡大」が行われた
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左と中の間を埋めるものを考えて「探検学」が出てきて、探検に対してクローズアップした結果「守破離」が出てきた
Kozaneba中の気づき
探検学
>KJ法発表後の川喜田二郎が探検学と言い出したのも、結局のところKJ法をやるための前段階の部分が方法論化されないとKJ法で新しい構造を生み出す以前の問題だからだ
守破離
>現代社会人にとっての一番身近な探検とは土地勘のない文書の読解であり、それは第一歩としては既存の構造の内面化なので、いきなりすべての構造を捨てるやり方にはマッチしない
> 川喜田二郎もフィールドワーク=探検によってデータを集める
> 手前に探検のプロセスがある
> 守破離でいうことろの守が終わっていることが前提で、
> その状態から離に至るためには既存の構造を手放す破が必要なのであって
> いきなり破をやっても有益ではない
中と右の隙間を埋めるものは何か?
→Kozaneba中の気づき:「顧客は現代の社会人である」
これ短いフレーズの形では言われてなかったけど大事なピース
加筆
>顧客が現代の社会人であるから
> コストとリターンの関係にセンシティブ
> 最初のリターンが観測されるまでに投入するコストが小さいことが必要
> まったく新規の構造を生み出すことより、既存の構造を理解して「このアクションをすると一石二鳥です」というリンクの発見をすることの価値が高い
> →これはなぜか?
> →個人事業主的な研究者と違って組織でチームワークしている場合、アクションの実行フェーズにしばしば他のメンバーの理解が必要で、既存の構造と独立した新たな構造は理解のコストが高く、それが捻出されなくて頓挫しがち

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これは関連するが別の話の枝なので現時点では他とうまく繋がっていない
Kozaneba中の気づき
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>過程を記録して振り返ってみたら「間を埋めるものは何か?」という問いを無意識に発していることがわかった
>最初に記録してた時には「加筆」(対象を整理している過程で対象と関連のある新しいものが出現したのでそれを対象に追加した)としか書いてなかったんだけど、それが発生している時はだいたい分かれてるグループの間をつなぐものが作られている
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> >その間の関係を記述しようとして不足に気づく
> 自覚してないけど書いてるじゃん

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話の発端まで遡った
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>「近接で関係を表現する場合」に既存の構造があると新たな構造を作るのが難しい
> それは「動かすこと」が即座に「既存の構造の破壊」であって、「壊れつつある既存の構造」と「作られつつある新しい構造」が区別なく渾然一体として表現されるからです
> Kozanebaを使う過程で「Kozanebaのリリースノート自体をKozanebaで整理したらサンプルとして良いのでは?」と思って試してみて、僕の力量でも「一度時系列で構造化されてしまったデータからその構造をシャッフルすることなく新しい構造を生み出すこと」は無理でした。
> それがなぜなのかを考えた結果「近接しか関係の表現方法がないのがいけない」と考えて線を引く機能が追加されました
3: 8月27日にリリースノートをKozanebaで整理してみて「時間で塊ができてしまうからダメだ」と言ってる Kozaneba開発日記2021-08-26#6128546aaff09e00006ef934

ここからまだ千切れてる塊の間の関係を記述していきたい
グループ化とかした時にレンダリングに2秒かかる
こざねやグループの総数は600を少し超えたところ
途中

データ追加
>川喜田二郎
> 「知」の探検学 取材から創造へ
> 1章 なぜ取材学が必要か
> 4節 新たな隘路としての取材学
>KJ法が表面的に普及しつつあるにもかかわらず、それはどうもまだ本格的に使 いこなされているとは思えない。ひとりでは達者に使いこなしている人びとがかなりあらわれつつあるが、組織としてみごとに駆使している例は、今なお暁の星よりも稀である。なにがその隘路なのだろう。...KJ法の素材になる元ラベルのデータの質が悪いと、結果はどう救いようもないものになるわけだ。...取材活動といってもよいし、 フィールドワークといってもよい。そのフィールドワークのやりかたや訓練が、多くの職場でひじょうに不足しているのである
W型問題解決モデルにおいて、せまい意味のKJ法はC→Dなのだけど、手前のA〜CをしっかりできないとKJ法が活用できない、と述べている
>p.78 探検ネットの誕生
> ブレインストーミングの記録
> 箇条書きはKJ法と調和しない
> テーマを中央に書いて周囲に書くことにした
> 意味の近い発言は近くに置く
> やってみたらゴチャゴチャ
> 発言記録の島の間に関連線を引いた方が明快になる
> 類似の発言をさらに島どりし、粗く表札をつけていく
> つまり、ブレインストーミングの最中に出てきた発言を対象として追加しながらKJ法をしているわけだ
間を埋める
>1966年に川喜田二郎が「発想法」で説明したKJ法は、グループ編成のフェーズでは付箋の間の関係は近接によってのみ表現され、離れたものの間の関係は図解化フェーズまで行わなかった。
>1977年の「知の探検学」では、KJ法の手前にある情報収集フェーズが新たな隘路だと述べた。
>その問題に対する解決法の一つとして説明されている「探検ネット」では、情報収集の過程で近接配置だけでは整理に不足で、線を引いた方が明快だと述べている。
>またKJ法を6ラウンド行うことを提案している。
>つまり、1ラウンドのKJ法の前半において線を加筆しないで近接のみによって関係を表現していたのは、積極的に「線がない方が良い」と考えていたのではなく、当時の技術で「線を引くこと」と「自由に動かせること」の両立が困難だったから自由に動かすことを重視したにすぎない
>囲みや線を引いてグループとその間の関係を明示し、それを一次元化するところまで行って一ラウンドであり、それを繰り返すべきだと考えていた、これはつまり関係の明確化が行われた後にまた動かすフェーズがあることにメリットを見出していたということ。当時は模造紙にペンで書いていたから再度動かす手段がなかったというだけにすぎない
Kozaneba中の気づき
>反論の余地のないキーポイント「川喜田二郎がKJ法を提案した当時、付箋を自由な位置に動かして近接によって情報を表現することと、付箋の間に線を引いたり囲み線で囲ったりして付箋の間の関係を表現することを、同時に行うことは困難だった」
>Kozanebaではできる
>これを雑に「KJ法ではできなかった」というと「A型図解化フェーズでやる」と反論がくるので「同時に行うことが」を強調する必要がある。同時にできないからフェーズが分かれていたのだ
>既存の構造を捨てる捨てないの二択を迫られ「新しい構造を得るためには古いものを捨てる必要がある」となったのは、両立させる手法がなかったから



全部つながった
で、全部つながって、これはまだ「元の文章で近接していた」という関係を保持している=既存の構造を保っている
今のこの状態はバックアップしたので、ここから「元の構造を保たなくて良い」=「離れたところ繋ぐ矢印が近接するように、元の構造を破壊して移動する」をやれば「苦痛を伴うジャンプなしに新しい構造へ到達できる」
これ機械的にアシストできないかな…つまり近接が弱いバネ、矢印が強いバネで、矢印が適度な長さになるように物理演算をかければ…
初めて思ったんだけど「選択範囲の90度回転」が欲しい…
うーん、シャッフルしてもいいかも(えっ
古いBaをバックアップして、重要そうなもの(例えば大きなこざねや、線で繋がれたこざね、タイトルのついてるグループなど)だけを新しいBaにコピーしてシャッフルし、古いBaでの文脈を知りたかったらリンクをたどってすぐ見れる的な仕組みができればいいとこ取りなのでは
いや、違うな、選ばなかったものが新しいBaにコピーされないとなると、選ぶことの心理的コストが高くなってしまう
過去の構造が新しい構造の妨げになってたら、どんどん畳んでしまうのがいいのかも
間を埋める
KJ法は付箋を動かして新しい構造を生み出す方法だが、その素材である付箋を作ることを自体に難しさを感じる人も多い。
1966年「発想法」でKJ法を提案した川喜田二郎は1977年「知の探検学」で、KJ法の前の素材を集める過程が新たな隘路だと述べた。
この本で川喜田二郎はデータが混沌としている問題だけでなく、自分の言いたいことが他の人にわかってもらえない問題、チームの中でお互いにわかりあえない問題もKJ法によって解決すると主張した。
この隘路の解決はKJ法と独立して有用なものである。
例えば「内部探検」は心の中にある「なんだか気にかかること」を「付箋」という形に変える。これによって心の中のモヤモヤが、付箋という消えない客体になり、第三者的視点から観察操作できるようになる。モヤモヤを整理して他人に伝わるストーリーを作ることは、文字でコミュニケーションするグループウェアの発展とともに重要度が上がっている。
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で、「モヤモヤ→ストーリー」が有益だというところまで来たので
その実現方法として「探検学→KJ法」と「Keichobot→Kozaneba」がある、という並列にする。そうすると「Kozanebaは別にKJ法をやるためのツールってわけじゃないからKJ法のマナーに従わなくてもいいですよね、手法の良し悪しはストーリーが生み出されるかどうか、その費用対効果はどうか、で判断されるべきですよね」となる
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なぜストーリーを生み出すことが重要なのかというと、チームワークあふれふ社会の実現のために自分が重要だと感じていることを他人に伝えて共感を引き出すことが必要だからだな
Kozaneba上の図解からストーリーを作るとき、受け手や伝えたいメッセージによって取捨選択されるべきなので、一つの図解からいくつものストーリーが生み出される
これはなぜかというと「ストーリーを伝えて共感を得る」ことを目的とした場合、簡潔な方が力強いからだ
KJ法はメッセージを伝えることではなく、フォーマットを変えることによって新たな気づきを得ることを重視しているので全体を一次元化するのだな
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なんで受け手によってストーリーが異なるって話になったかというと
当初「KJ法の視点でKozanebaを見てる人に対してのストーリーが必要」と考えてたが、それの優先順位はそんな高くないのでは?と気づいたから
世の中の大部分の人はKJ法のとこを知らないか「付箋を動かすやつでしょ」ぐらいの理解しかしてないので、図解化フェーズとか文章化フェーズの知識を前提としても伝わらない
重要なのは2つ
1: 世の中の人に対してKozanebaの有用さを納得させるストーリー
2: サイボウズの人に対してKozanebaのサイボウズのビジョン達成に対する有用さを納得させるストーリー