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振り返ると不安が癒やされる
こういう構図があるよね、という話を聞いた
不確実な世界を見続けると心が病んでしまう
未来がわからない不安に苛まれてしまう
そんな時に振り返って世界の変化を直視していない人を見ると癒される
闇を見ないまま生きている人を見て自分も意外と細かいこと考えずに生きていけるという気持ちになる?
わからない人に教えてあげることによって「貢献」感を得ることができる?
それによって「世界に必要とされている」という自己肯定感を得ることができる?
これに関するAIの言語化


これを聞いて僕は「世界のちぎれ」を思い出した
Aさんの移動速度がBさんより大きい場合、時間経過によって二人の間の距離は広がっていく
そうなるといずれAさんが話していることをBさんは理解できなくなる
AさんとBさんのコミュニケーションが成立しなくなることで「世界のちぎれ」が発生する


これは古い価値観に凝り固まった因習村が都会から来た新しい価値観を持った住人をいじめて追い返してどんどん孤立していくイメージだったのだが、必ずしもそうではないかもしれないという指摘
それはテレビの発明
地方に都会からの情報が共有される速度が格段に上がった
今後、AIの発展によって「テレビ番組」が個々人のニーズに合わせて生成されるようになる
そうするとインターフェイスはテレビのまま、さらに情報共有の速度が上がる
つまり
この速度が一定であって距離が広がり続けるという仮定が正しくない可能性がある
Aの進む速度よりも、Bのキャッチアップする速度のほうが速いかもしれない
キャッチアップする気があるならな...