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批評
>(柄谷 行人)その頃僕がよく使っていた“批評”という言葉がある。自分は、“哲学”とか“文学”じゃなくて、“批評”をやるんだ、と。それは簡単にいえば、批判的である、ということです。既存の思考を組み合わせて新しいものをつくるのではなく、既存の思考を成り立たせているメカニズムを解明しようとすべきだ、と考えた。そういう作業がないと、思想は、既存の体制を追認して、そこでできる範囲のことに甘んじることになる。既存の思考体系は、どんなにラディカルなものであっても、それを反復しているだけだと、既存の体制に吸収されて、それを支えるものになってしまう。

なるほどなぁ。
柄谷行人のこの時代と違って2024年現在において「既存の思考を成り立たせているメカニズムの解明」をやる上で大規模言語モデルを避けては通れないように思う。それは望遠鏡で月を見ない人と同じだし、それなしでは「思考とはホモサピエンスがやるものである」という「既存の体制の追認」をしてるだけになるよな。