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即非の論理
...とされてるが直接的にこうは書かれてないっぽい
"ブッダは悟りを説いた、それは悟りではない、これを悟りという"という感じの表現


体験を重視する立場では、
体験にXという言葉をつけた時点で、それはもはや本来の体験自体とは異なっている
「言葉としてのX」は「体験としてのX」とは異なる。
これを言葉としてではなく、体験として理解する
この体験としての理解を「般若波羅密(悟り)」と呼ぶことにする
『「言葉としての"悟り"」は「体験としての"悟り"」とは異なる』これが"悟り"である
と噛み砕けば誰でもわかることだと思うが、略して「悟りは悟りではない、これが悟りである」とかいうのでわからない人にとっては意味不明なものになる
意味不明なものをありがたがる人が多いからそのまま流通してしまう?

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