generated at
ダイヤモンドと水のパラドックス
水の方が命をつなぐために有用なのに、ダイヤモンドの方が市場価値が高いのはなぜか?

「価値」という言葉に二通りの意味がある
使うときの価値(使用価値)
交換するときの価値(交換価値)
アダムスミスは交換価値は「それを得ようと思ったときに必要な労力で決まる」(労働価値説)と考えた
なので財の効用(使用価値)とは無関係である

限界効用
物のある人にとっての価値はその人がどれくらいそれを持っているかによって変わる
たくさん持っているほど価値が低くなる
水の価値は高い(A>B)が、たくさん供給されると価値が下がる(B>C)
砂漠で渇いて死にそうな人は水を得るためにダイヤを差し出すだろう
希少性希少価値の話につながる
財の価値が普遍的に定まるのではなく、ある人が財を求めている時にその供給が少ない方が価値が高くなる
希少であるだけで普遍的な価値が生まれるのではない
今僕が新しいプログラミング言語FooBarを作ったとすると、その言語のユーザは世界で一人だからすごく希少なのだが、FooBarプログラマを求めてる人が誰もいないので価値はない