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やりたいこと集合が存在しない

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やりたい」を集合であるかのように描いてしまうことがしばしばある
この絵がミスリーディングかもしれない
暗黙に「ことの集合としての『やりたい』の存在」を仮定している


「やりたいこと集合」が存在するのではなく「やりたさ軸」が存在するのではないか
意識に上った行動の選択肢の中から、一番やりたいものが選ばれる
そう考えると「やりたいことは何?」という質問自体がミスリーディングかもしれない
「やりたくないことを考えてみよう」
「やりたいことが見つからない」という人にしばしば行われるアドバイス
何がやりたくないかを言語化することで、逆に何がやりたいかがわかる

やりたいことがあろうがなかろうが何かやってる
だらだらTwitterを見てるかもしれないが
問題なのは、その「やってること」がそれほど楽しくないこと
楽しいことは何か」の方が有益な質問かも?
もしくはもっと具体的に「過去に楽しいと感じた時、何をやっていたか」

そもそも行動の選択肢が少ないケース→色々な選択肢を見て知る

やるべき」(他人がやると良いと考えたことの集合)や「できる」(できることの集合)は集合だが、「やりたい」も同じだと考えるのはミスリーディングなのでは