「体験過程と意味の創造」勉強会3
2022-03-18
今回はその続きB3からB6をやる
目的(前回の再掲)
「まだ言葉になっていないモヤモヤ」を言葉にすることが必要
個人の知的生産にも必要
思考を言葉にすることが思考を改善するためにも実利につなげるためにも必要だから
チームワークにも必要
言葉にしなければ他のチームメンバーに伝えにくいから
この「モヤモヤを言葉にする」に関して我々はボンヤリとしか認識してなかった
Eugene T. Gendlin(ユージン・ジェンドリン)はモヤモヤと言葉の関係について深く考察して「体験過程と意味の創造」を書いた
「体験過程と意味の創造」を読むことで、我々は「モヤモヤを言葉にすること」に関する語彙や視点を手に入れて、より解像度高く考えることができるようになる
これが将来のグループウェアがどう進化していくと良いのかや、知的生産の手法がどう作られると良いのかを考えることの助けになるはず
前回の振り返り
重要な言葉
感じられた意味: felt meaning、experienced meaning。モヤモヤのこと。
フェルトセンスと呼ぶ人もいる
シンボル: 今回は言葉のこと。厳密には言葉でないものも含むが今回はその話はしない
第三章「感じられた意味の働き方」
「感じられた意味」と「シンボル」が、共に働く(相互作用する)働き方を7つに分けて解説した
第四章: 「新しいシンボル化の中で働いているものとしての経験された意味の特徴」
Characteristics of Experienced Meaning as Functioning in New Symbolization
モヤモヤを言語化する時にモヤモヤのどんな特徴が言語化に影響を与えてるのかという話
A: Experienced Meaning Is Not Determined by Logical Relationship, But Does Not Function Arbitrarily
「感じられた意味」は論理の手前にあるもの
論理的関係によって決定されるのではない
また「感じられた意味」は恣意的に機能するのでもない
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これ「恣意的」と訳されているけど「論理的に一つの意味に定まるのではなく、また任意の意味にできるわけでもない」と訳した方がわかりやすい?
ある「感じられた意味」を複数のやり方でシンボル化(特定、説明、specify)した時に、それらのシンボルが同等(equivalent)とは限らない
それぞれのシンボル化が「感じられた意味」の新しい「側面」を創造している
モヤモヤFを言葉にしたとしても、そのモヤモヤと言葉はイコールではない。FがS1として表現され、S2として表現されたとしてもS1=S2ということにはならない
私たちが「概念」を「持っている」とは、それは「感じられた意味」と結びついているという意味
「開集合」というシンボルは、他のシンボルによってユニークに特定されている
明確に定義された「概念」
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この定義をみて「開集合の概念」をすぐに使えるようになるわけではない
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この「考える」の過程で何が起きてるのかに関しての西尾のイメージ
考えた経路、体験過程、が何本も重なっていくうちに「濃い部分」(
交差点)ができてきて「あ、これが『開集合』の意味だな」となる
シンボルと「感じられた意味」が結びついた、これを「概念を持っている」と呼ぶ
哲学や数学に限らない。たとえば「本を読んでもクラスの概念がよくわからないなぁ」という状態から、見よう見まねでクラスを使うプログラムをいくつか書いてるうちにわかるようになったりする
概念は個人の中にある「感じられた意味」ではなく、個人の外にある「シンボル」
この「シンボル」が複数人の人で同じ意味を指すようにしたい。
複数人で議論をする上でそれが有用だから。
しかし個人の中の「感じられた意味」を直接観察して「うん、僕のと同じ意味ですね」とやることはできない
人間は他人の心の中の「感じられた意味」を直接観察できないから
なのでいくつものシンボルを組み合わせて説明して、全部の整合性を取ろうとすれば一通りの意味になるように頑張る
こうやって頑張って作られたものが「概念」と呼ばれている
頑張ってはあるが、個々人の中の感じられた意味が一通りの意味になるかどうかはまた別の話で、毎年大学1年生の結構な割合が数学のテストでバツをつけられる
4Bの振り返り
今回の話との接続のために前回と違う順番で振り返ります
側面(aspect)について (4B2)
西尾のイメージ
この図の灰色の部分
>Definition of "aspect of experience."
>The term "aspect of experience" will be employed to name the specification of experience that results from its functioning in creative symbolization.
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明確な境界を持たないモヤモヤした「経験」の「特定」(specificaion)が「経験の側面」
「経験」が、創造的な「シンボル化」の過程で「働く」
この「働き」の結果として「経験の側面」ができる
ver.2
明確な境界を持たないモヤモヤした「経験」が、創造的な「シンボル化」の過程で「働く」
この「働き」の結果として「経験」はspecifyされる。そのspecificationが「経験の側面」
「スキームとは何か」は次回改めて整理する予定
原文に忠実に説明すると: experienceをsymbolizeするときschemeは一通りではありませんよ、
多スキーム的multischematicですよ、という話
schemeは一旦「構造」と呼ぶことにする
たとえば経験を時間的構造で記述することができる
「Aの後にBがあった」
この一つの構造ではなく、いくつもの構造で表現できる
西尾のイメージ
「経験」には明確な境界も、単位も存在しない
どこを「1単位の経験」として切り出すかは確定していない
同じ「無数的な経験」が「一つの経験AB」としてシンボル化されることも「二つの経験AとB」としてシンボル化されることもある
なので、AとB「の間にある」ことと、AB「の中にある」ことに本質的な違いはない
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Q: 時系列的に離れている似たイベントAとBがあった時に、AとBの間には似てないイベントもあるからくくって一つのイベントにできないのではないか
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A: それは暗黙に時間的スキームを仮定している(時間軸方向の構造だけに注目している)
時間軸方向に連続しているものだけしか一塊にできないわけではない。たとえば年に一回発生する「正月」を「それぞれの正月の間には6月があるから『正月』という概念で一塊にすることはできない」と言ったらおかしいですよね?
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たしかに
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それがくっつかない、離れてる、と感じるのは暗黙に時間的スキームを仮定している。スキームはその一通りではなく、いく通りもあり得る。正月という括りもそうだし、たとえばディズニーランドに何度も言ってる人が「ディズニーランドに行った時の経験」と一塊にすることもできる。
意味は類似性で逆もまた真
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タイトルから安易な解釈をしていたが、読んだらだいぶ違ったのでこのタイトルは一旦忘れてもいいかも
(4B1)のこの話を掘り下げる
二つのものが似てると考えたときに「似てる」を「二つの丸の間の線」としてイメージしてしまいがちだが、これは正しいだろうか?という話
もちろん「の間にある」と「の中にある」に本質的な違いがないのだから、類似性が二つ「の間にある」だけをイメージするのは視野が狭い
最終的に「AとBは似てる」と表出されるような構造の創造課程は少なくとも二通りある
Story1: シンボルAが生まれ、シンボルBが生まれてから「この二つには類似性Lがある」と表出されるストーリー
Story2: あるシンボルLが生まれ、そのLに関わってる物としてAが表出され、Bが表出されるストーリー。結果としてAとBはLと関係しているという意味で類似しているとわかる。
Story2は極端に誇張してこう描いた方がわかりやすいかも
「動物Lっていますよね、たとえば猫Aとか、それから犬Bとか」
猫と犬は共に動物であるという意味で「似ている」
これは論理的に扱いやすいわかりやすい表現なんだけど、それは慣れたベン図的な解釈に無理やり押し込んでるだけ
「感じられた意味」は「無数的」=「明確な境界を持たずに濃淡を持って広がっているもの」
なので二つの「感じられた意味」の間に「包含関係」は定義されない
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これはScrapboxのリンクの概念と関係する
リンクという言葉で多くの人がイメージするのは「ページAがあって、ページBがあって、その後でそれをつなぐリンクLができる」というStory1
Scrapboxのリンクはそうではない
「まだBはないがAとLだけ表出しとこう」がよく使われる
時間が経って別のBに対して「まだつなぐ先はないがLだけ表出しておこう」とやると、システムによってAとBがLを介してつながるという情報がもたらされる
(4B4) Relation or relata
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(4B3) では「類似性は意味だし、意味は類似性」といった。
この「類似性」は関係の一つ
この節では「類似性に限らず、関係は全部そうだよね」という
a creative process is possible in two directions
創造過程に二通りの方向性がある
(a)givenな意味と他の意味との間に関係が見出される
(b)givenな意味と関わり合う他の意味が見出される
結果、givenな意味は事後的に「関係」になる
ここで「側面」についてもう一段掘り下げることができる
ある意味と別の意味の間の関係として表現される
ある意味の新しい側面として表現される
別の意味の新しい側面として表現される
(図として区別しやすく描くために「重なっていない境界の明確な灰色の円」として描いているが、もちろん境界はぼやけて広がっている)
描いてみたけどあまり納得のいく出来ではない
模式図としてはグラデーションを2階調にするといい?
「AとBの間にLができた」と表出されるとき、AとBは狭い範囲で捉えている
「BによってAに新しい側面が作られた」と表出されるとき、Aが広い範囲で捉えられ、Bが狭い範囲で捉えられている
以前書いた「西尾のイメージ」がより詳細に表現されて三通りに分かれたということ
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具体例(かなり雑なのでもっといいのが思いついたら差し替える)
猫と太陽には暖かいという類似点がある
猫は(太陽のように)暖かい
太陽は(猫のように)暖かい
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類似性は対称な関係だから非対称なものを例にした方がいいか?
水素と酸素が化合する
水素が酸化される
酸素が還元される
前は「関係」を「2つの円の間の線」で表現しようとしてた
FGとFHの関係がFGをdetermineする、と表現した
これを「側面」で表現する
この図ではFがあえてシンボルで呼ぶなら「今日話したこと」で、それが話者の発したシンボルA,B,Cによって新しく作られていく
F(=FG)の側面をFA(FH)がspecifyしている
FaとFの間に関係が見出されたり
Fに新しい側面が見出されたり
Faに新しい側面が見出されたり
たとえば前回起きたことを例に挙げると「概念」というシンボルから想起する意味が、その後の質疑の会話によって事後的に分節化された
分節化: 「概念は人の外にあるシンボルで、人の中にある『感じられた意味』ではない」
これが行われる前はその人が「概念」というシンボルで想起する意味は、「中か外か」で明確に切り分けられていない、広がりのあるものだった
これは「概念」というシンボルAから想起された「感じられた意味」FaがFとのインタラクションによって新しい側面を獲得した、という現象
言語的シンボルだけでなく沈黙や渋い顔などのシンボルを総動員して共有されたFを作ろうとする行為
Q: 「側面が見出される」という表現がたくさん出てきて興味深い。側面を見出すことが理解の大きな要素の一つ?
A: わざわざ定義をして何度も使っているので重要な概念だとユージンジェンドリンは考えていると思う
意味がモヤモヤと境界のないものだから、それに「側面」を見出してやる必要がある、というメタファーなのかも
追記: 「側面」は原文ではaspectなのでこれを辞書で引いてみる
>Any specific feature, part, or element of something.
>The way something appears when viewed from a certain direction or perspective.
>The way something appears when considered from a certain point of view.
納得。ある視点BからAを見たときにspecific partが見える、それがaspect
(4B5) Multiplicity
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和訳では「多様性」と訳されてるけど個人的にはしっくりこない。「多様性」という言葉がいろいろな意味で使われるのでそのいくつかの使われ方のイメージに引きずられているからか?「multipleである」という性質の話なので「複数性」がしっくりくるように感じる。とりあえずここでは訳さずに「Multiplicity」と呼ぶことにする。
この節はa〜dの四つに分かれている
(a) An experience is multiple
特徴「無数的」によって、たくさんの経験が一つの経験「の中にある」
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単数複数を区別しない日本語の話者である我々にとってはこの主張の心理的障壁は低いけど、これは「一つのXは複数である」という主張なので、数にセンシティブな言語の話者にとっては言語によって暗黙にもたらされたバイアスを頑張って壊す必要があるわけ
(b) Experiences have multiple interactive relationships
「経験は多様な相互作用関係を持っている」と和書では訳してる、これが言いたくて「多様性」と訳したのかも
別の表現をすると、ある経験Aと別の経験Bの間の相互作用は1通りではない、複数ある、ということ
RECOGNITIONとEXPLICATIONを繰り返して思考を進める話が書いてある、後で詳しく説明する
(c) The equivalence of (a) and (b)
これは(4B1)で説明した「の中にある」と「の間にある」の等価性を使う
(d) The as yet unspecified is multiple
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「まだ説明されていないものが多様性である」と和書では訳してるが…"is multiplicity"と書いているわけではないので微妙だなぁ
「まだ言語化されてないもの」「『あー、うまく言えないんだけどアレ』と呼ばれてる『アレ』」は、単一のものではなく複数のものである、と言っている
Q: 「複数個」というけど、密度のようなものなので、そもそも数えられないのでは
A: その認識の方が正しい。
密度のようなモヤモヤしたものを切り出したときに、我々はそれを「一つのものだ」と考えてしまいがち。
それに対して「それは一つではない、複数個になり得る」と言っている
これは言語によるバイアスだと思う。英語で表現すると"an experience"になって、それ単数であると暗黙に仮定するバイアスが強い。
我々が単複を区別しない日本語話者であることと、原著では文字だけで説明しているものを僕が「モヤモヤした図」で表現して解説していることでnon-numericalな特徴を理解しやすくなったのだろう。
素朴な認識の絵
この認識の仕方をしている人にとって「その1本の線だと思ってるものは密度のようなモヤモヤでnon-numerical」と言っても理解されにくい、そこでまず「1個だと思ってるけど複数なんだよ」という説明をしているのだと解釈している
この順で説明すると抽象的なので、(b)と(d)で著者が説明している具体的な話を僕なりに図解する
「モヤモヤしたものをとりあえず言葉にしてみたら、その言葉の刺激で予期せず次々芋づる式に言葉が出てきた」というストーリー
1: ある人が何かモヤモヤとしたうまく言えないものFを持っている
2: その中の「言いやすいところ」Fxを言葉Aにしてみる
3: このAは、当初予期していたものよりも大きな意味Faを呼び起こす
4: このFaとFの相互作用によって新しくBやCという言葉が生まれる
5: そしてBやCが、また予期した以上のFbやFcを呼び起こす
詳しい解説
>4: このFaとFの相互作用によって新しく〜生まれる
この相互作用を以下のどちらと解釈することもできる
FとFa「の間」の相互作用関係が見出された
FaがF「の中に」「既にあった」「経験の側面」をspecifyした
どちらと解釈するかはどの範囲を一塊と考えるかの違いにすぎない
>2: Fの中の「言いやすいところ」を言葉Aにしてみる
我々は今「言語化」「言葉にする」というプロセスを掘り下げて詳細に観察しようとしているのに、その説明の中で同じ単語「言語化」「言葉にする」を使ってはダメだよね
ユージンジェンドリンがどういう表現をしているかというと、引用符付きの「select」という単語を繰り返し使っている
まずシンボルを選択する
選択したシンボルがより多くのものを呼び出すことに気づく
その追加部分に関してまたシンボルを選択する
ここで行われることは
まず「感じられた意味」がある
それを表現するのに使えそうな単語を思い浮かべる
思い浮かんだものの中から一番しっくりくるものを「選択」する
たとえばあるプログラマが自分の書いたプログラムの設計について説明しようとしてる時に、その説明したい内容に「
メディエイターパターン」という言葉がぴったりだとしても、その人がその言葉を知らなかったり思いつかなかったりすれば使われない
>顧客は何か表現したいも のがあるのですが、それを表現するのに適切な言葉を知りません。そこで、 彼が知っている言葉の中から、一番近そうだと彼が考えた「タイムマシン」 がたまたま選ばれました。この「タイムマシン」はメタファなのです。
西尾の慣れた言葉を使うと、Aを言語化したことによってBやCの言語化が促されたのは、その人の中にあらかじめあった
連想ネットワークのAの部分を刺激したことで、ネットワークの周囲の単語が想起されやすくなったため
リキャップ: 「関係が複数である」というタイトルにどう結びつくのか
今回、西尾が二次元の図解で解説したので「Fの中にAとBとCがある」スタイルの認知が容易だった
誰もが常に物事を二次元図解で認知してるわけではない
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むしろ二次元図解での認知をするのは少数派なのではという気もする
心理療法の現場では音声を使った一次元コミュニケーションがメイン
音声のコミュニケーションだと「話したことそれぞれが小さな粒であって、その *間* に関係がある」という認知になりやすい
音声はその媒体の制約により、Aから同時にBとCが生まれた時にどちらを先に言うか選択しなければならない
文章を頭から書いていこうとする人も同じ制約を受ける
一次元にしなければアウトプットできない強い制約
「Aが今話したいことFにどういう関係があるかというと…あれ?Bかな?Cかな?」
これは図解なので2つあることを並列で表現できているが、音声で出力するときにはどちらかを選ぼうとしてしまう
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両方同時期に出てきてどちらを選ぶか迷いが生じるなら、明らかに「両方とも同程度に大事」
片方を選んでもう片方を捨てるのはクレイジー
「言語化」するフェーズと「一次元の文章に清書」するフェーズは分けた方がいい
音声でのアウトプットだとこのフェーズの分離ができない
「どちらか片方、一つの関係を選ばなければならない」という思考のバイアスが生まれる
こういう思考のバイアスに対する処方箋として「関係は一つではなく複数なのだから一つを選ばなくていいんだよ」「それにそもそもまだ言語化されてないことは一つではなく複数なのだよ」と言ってるわけ
これが下記とつながる
> (b) Experiences have multiple interactive relationships
AとFは複数の関係BとCを持っている
> (d) The as yet unspecified is multiple
まだ言語化されてないFは複数である
(4B6) Any concept is one of many
「どんな概念も多くのものの中のひとつである」
タイトルだけ見ると仏教っぽさやone for all、all for oneみたいな雰囲気があるけどそういうことを言ってるわけではない
1〜5を踏まえてこれが導かれる
>a newly created aspect of experience will be only one of very many that might have been created
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新しく作られた「経験の側面」は、たくさんの「作られたかもしれない経験の側面」のうちの一つにすぎないだろう
特に1と5から「一つの経験された意味」は常に「作られうる/could be specified」なaspectsのmultiplicityだ、と言える
「Q: 経験された意味が新しく作られる一つの側面の意味を決定するなら、multiplicyなんてないのでは?」
「A: すべての経験がmultipleなので、作られうる側面がmultipleである」
一つの側面に注目すると、それは関与した「経験された意味」によって、かなり細かく特定されるが、生み出されうる側面がたくさんあるので多様なものが生まれうる
もしすべての関与する経験が既知であれば、生み出される意味は一意に定まると言えるかもしれない
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これは反語で、「すべての関与する経験が既知ということはあり得ないので、生み出される一意に決まらない」と言ってる
(4B6a): ある経験Xの新しく特定された側面AはXから特定されえた多数の側面のうちの一つにすぎない
ここから導かれること:
(4B6b): どんな意味Aもいくつかの経験のたくさんの側面のうちの一つだとみなせる
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なんでこのようなことを言うのかというと、たぶんこれを理解してないカウンセラー見習いを
カール・ロジャーズが怒るのを見てきたからだと思うw
なにかうまく言語化できないものFを抱えてるクライアントがいて、その人の話を聞いていて、その人が「A」って言ったときにそれをどう解釈するか
Aliceは「F=Aだ」と解釈する、これはダメ
Bobは「まだ言語化されていない大きなFがあって、その一側面に過ぎないAが言語化された」と解釈する、これがよい(右)
なぜかというと、この後クライアントはAと全然関係ないように見えるBの話をするかも知れないから
F=Aだと思ってると「Fに関係ない話をしてる」と思っちゃう
話が飛んだな、とか思っちゃう
F=Aだと思い込んだカウンセラーの態度が間違っているのであって、クライアントの話が飛んでいるのではない
そうではなくBもまたFの側面であって「関係がある話」をしているのだ
こう捉えることがFの言語化を手伝う上で重要な態度
>(4B6b): どんな意味Aもいくつかの経験のたくさんの側面のうちの一つだとみなせる
「みなせる」だと「みなすことに何の意味が?」って思う人がいそう
どんなクライアントの発言も、それが指す意味は「クライアントが言語化しようとしていることF」のたくさんの側面のうちの一つ
こうみなすことによってカウンセラーはクライアントの発言をより良く受け止めることができる
ユージンジェンドリンはこの本を哲学書として書いてて、心理療法士のためのハウツー本として書いてないので「こうした方があなたの心理療法が良くなります」と明示的には書かれていない
Fが「いくつかの経験」と呼ばれているのは、(4B5d) The as yet unspecified is multipleだから
このことを指して
I. A. Richardsを引き合いに出して「all specified meanings are metaphoric」と言っている
>顧客は何か表現したいものがあるのですが、それを表現するのに適切な言葉を知りません。そこで、 彼が知っている言葉の中から、一番近そうだと彼が考えた「タイムマシン」 がたまたま選ばれました。この「タイムマシン」はメタファなのです。
人が「まだうまく言えてないこと」を言おうとして捻り出した言葉は「辞書的な意味」で使われてるのではなく、個人的な意味と結びついた「メタファー」であって、そのシンボルだけからその人の中の「感じられた意味」はわからない、だからより多く側面のシンボル化を促してやる必要がある
エンジニアの知的生産術のストーリーでは、顧客は自動バックアップシステムが欲しかったのだが、それを表現する語彙がなかった
そこで「上書きしてしまったファイルを上書き前に戻って取り戻したい」という意味で「タイムマシン」という言葉を使った
この「タイムマシン」という言葉を、自分がその言葉から想起する意味ではなく「顧客の中にまだ言語化されてないFがあり、それの一側面が『タイムマシン』という言葉で出てきているのだ」ととらえて、そのFを特定するための質問をしよう、と説明した
所感
論理的な構造の側をなぞると抽象的なのだが、具体的な言語化の過程で起こることと照らし合わせて考えると「言語化のパターンランゲージ」みたいな感じがした
たぶんプログラミングにおけるデザインパターンと同じで「具体的なソースコード」から切り離してパターンだけ学ぶと意味がわからない
具体的なソースコードとセットにすると「あー、このよくあるパターンのことを言ってるのね」となる
Q&A
Q:相手が言った言葉は大きなFの一側面という理解は大事な気がした。Twitterでの煽り合いみたいな議論は、意図的にF=Faと解釈しようとしてるように思う
A: まさにそういうことを思ったけど資料に書いてなかった
PさんがAの話をしているのをみてF=Faだと解釈したAliceが、PさんがBの話をし出したときに「話を逸らすな」と言い出したりする
Pさんにとっては「話F」をそらしてない、Aliceが「話F」を勝手に「Fa」だと考えているだけ
Pさんから見ると逆にAliceが話をそらしてるというか、話の本題でない細部に拘ってるように見える
Alice「Cの件を指摘したら、全然関係ないBの話をしだした!話をそらしてる!」
Pさん「Cは確かにAとは関係あるけど、今話したいこととは関係ないんだよなー」
Q: PさんのF_AがAというシンボルになって、それを聞いたAliceの中で想起されたものは、いわばF_A'ですよね
A:そうです。一致する保証はない。
厳密に表現するならシンボルAによってAliceとBobが想起した意味はそれぞれF_{A,Alice}, F_{A,Bob}と書くべきなのだけど省略している状態
Q: このズレがかなり激しくないと罵り合いにはならないのでは
A: いやー、Twitterで罵り合いする人ってAというシンボルで自分が想起したFaが絶対に正しくて、相手の側が間違ってると思ってるじゃいですか。そんな状態で辻褄が合うわけがなくてw
生産的なやりとりをしようと思うのなら
大前提: Aという言葉で想起するものは人それぞれ異なっている可能性がある
なので、すり合わせる、お互いに歩み寄って共通のものにしていこうとする
これが必要だよね
この必要性が共通認識になっている必要がある
Twitterで喧嘩してる人、そう認識してなさげ
Q: Fを一致させようという試みがないということ
A: うん。一致させないまま有益な議論はできないと思う
それを一致させようとする努力の結果として数学も哲学もすごく長い文章が発生して、シンプルでなくなってる、初見の人にやさしい文章ではなくなっている
しかしそこをきちんとやらないと話を深く掘り下げていくことができない
別のメタファー: 土台がきちんと固まっていない、砂の土台の上に高い塔を建てると傾いてしまう。
砂上の楼閣きちんとやろうとすると相応のコストを掛けて共通の「感じられた意味」を作り出す必要がある
それが「概念」が「持たれている」という状態
Twitter上の罵り合いはそういうコストを掛ける気がお互いにないよねという気がする
Q: 相手の言っていることを理解しようとしたときに、たくさんのシンボルが出てきて、それから言いたいことがわかるということなのかなと思う
A: Yes
Q: それを前提としたとき、テキストコミュニケーションは難しいのかなと思うがどう思うか?音声だとラリーが短時間に起こってシンボルがたくさん出てくる。テキストコミュニケーションだと不都合
A: 個人的には逆に捉えている
音声コミュニケーションは出てきたシンボルが片っ端から消えていくので記憶の中にしか残らない
一方、テキストコミュニケーションだったら消えていかない
「さっき書いたこと」を見返すことができる
「音声でラリーが起きてシンボルがたくさん出てくることが大事」に関して
「シンボルがたくさん出てくることが大事」には完全に賛成
コミュニケーションに参加する人がテキストコミュニケーションが得意であればクリアできる問題
参加する人がテキスト入力が苦手であるとか、音声の方が楽であるということなら、音声の方がいい
人がシンボルを表出することのコストの話
シンボルはバンバン出してもらった方がいい、で、そのシンボルを表出するコストがテキスト出力を強制することで上がってしまって出てこなくなるなら本末転倒
もしもコストが対等なのであれば、消えない分だけテキストの方がいい
Q: テキストにすることを負担に思う人が多いのかな
A: テキストにすることに心理的障壁がある人がいるなら、その人の話を聞いてあげてそれをテキストに起こすって役割に価値が出てくるかもしれない
Q: 音声にしかない情報もあるのでは、抑揚とかうーんと悩むとか
Q: 感情の観測ができるのが音声のメリットとしては大きい
A:まったくその指摘は正しくて、話を簡単にするために「シンボルとは言葉、実際はもっと広いけど」と言ってるけども、実際の心理療法の現場では表情やいい淀みとかジェスチャーとか、そういうものを重要なシンボルの表出であると捉えてる
説明する上で今は言語的シンボルにフォーカスして話を進めてるけど、やっぱりテキストだけだとできないシンボルの表出はある
この種の表出をやりやすい人やりにくい人もいる、人それぞれ個性がある
最初からテキストで書くのではなく、音声で表出したい人のために聞いてあげてテキストにしてあげるって役割がやっぱり大事になるのかな
聞いてあげて終わりではなく、グループウェア上での長期的な知的生産につなげていくならテキストにして消えなくし、蓄積され、検索できるようにしていくことが大事だと思う
そこのプロセスギャップをどう埋めるかが大事かも
テキストコミュニケーションは習得コストを払わないと習得できない、テキストであることの利便性とは別の話、だけど利便性がなければ習得コストは支払われないか…コミュニケーションのためのテキストではなく記録のためのテキストなら…
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便利じゃなきゃ使わない、ってのも使えるようになるためのスキルの習得にコストが支払われるまで便利にならないっていう鶏と卵の問題が発生するので悩ましい
僕個人としてはみんなテキストコミュニケーション、テキスト上での議論がバンバンできるように訓練した方が良いと思う
あとみんなiPadで絵が描けるようになった方がいいw
そしてみんなKJ法使ったらいいと思ってんだけどもww
まあその習得コストが高いから納得してもらえないよね、というのが日頃の思いです
Q: みんなテキストコミュニケーションがちゃんとできたら争いが発生しないのではってくらい難しいのでは
A: 争いは…Twitter上でも喧嘩してるからなぁ、どうだろう
追記: テキストか音声かと無関係に、みんな「ユージンジェンドリン的な解釈の仕方」ができたら争いは減りそう
Q: 音声をテキストにするときに感情などのモダリティの情報をテキストに載せるスキルが必要なのでは、メールベースでやりとりしてるときにいい淀みの情報は消え去ってしまう。ソフトウェアがテキスト化を支援するのか、それらの情報を伝達できるメディアを作るのか、なにかが必要そう
A: 実際、ことわざ的な言葉として「いいよどみが意味を作る」とか言われてる
うまく言えないで言い淀んだ結果として出てきたシンボルが重要であって、ペラペラ喋られてるシンボルは表層的でそれほど大事なものではない
質問とかされて、「えっと…」と言い淀んで、しばらくしてからポッと出てきた言葉にこそフォーカスする必要がある
テキストコミュニケーションだとそれが全然わからない
言い淀みの情報を活用できるサービスがあるといいのかな
追記: そう思ってKeichobotに解答までの時間を計測する機能を入れてみたりしたんだけども、あまりうまくいかない。対人音声コミュニケーションだと100%目の前の人に集中するという暗黙の拘束が発生する、スマホを見たりしない、一方でチャットだとよそ見をすることができてしまう
Q: 言語化の時のいいよどみと、書いた文章を他人に伝えるために推敲する時にうーんと悩むのは別のものな気がする
A: Yes
追記: 個人的には言語化の言い淀みは「まだ言語化されてないものが言語化されるプロセス」で発生して、推敲の悩みは「既に私的な言語で言語化されたものを、他人に伝わる共通言語で表現するプロセス」で発生するように思う
後者のプロセスの最中に新たな問いが発生して新たな言語化が必要になることはあると思う
「あれ?この二つの文章の間、飛躍がデカすぎ?間を埋めるものを言語化せねば…」