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脱自の境地
脱自について

> 【新プラトン主義】より
> …人間はこれによって上のもの,つまり神霊や神々や〈一者〉と結びつくことができるのである。(6)〈脱自(エクスタシス)〉 人間は外的現象から内的世界に目を転じ,魂の目で直接内的宇宙を体験することによって三つの原理的な力にじかに触れることができる。内的世界の深まりの中では,認識するものと認識されるものの区別が消失し,〈魂〉と〈叡智〉,さらに〈叡智〉と〈一者〉は完全に一つのものになる。… via コトバンク> 脱自とは

> エクスタシーという言葉はギリシャ語のエクスタシスが語源で、神との合一、魂の現象界への離脱といった意味合いがあるという。ハイデガー研究者のあいだでは多くの場合「脱自」と訳される。
> 「脱自」という訳語はそれ自体はエクスタシーという本来の語が指し示すような意味においてはまったく官能的ではない。これらは言語及び翻訳の問題でもあるだろう。そもそも(多和田葉子『エクソフォニー』の説では)官能的という語そのものが「官」と「能」というまったく官能的でない言葉同士を合わせた言葉であって、言語というものの不可思議さをよく示していると思う。