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経験知
経験の蓄積で得た知識
なので経験知は暗黙知からはじまっているはず
経験知は暗黙知(言語化されていない)から形式知化(言語化)することができる
ここでどうしても形式知化できないものを指して狭義の経験知と呼ぶこともありそう
狭義の暗黙知でもある
>「言語で明確に表現することができない,もしくはそれが困難な(廣松渉ほか,1998)」知識
形式知化されたものは共有することができるが、言語でそのすべてを伝えようがない
経験知の50%を言語化できたとしてももう50%は経験でしか得られない
より深い理解

>経験知は多くの場合暗黙知であるから,生徒が経験知を蓄積するための学校教育や数学教育の在りようについての必要十分条件は,言語ではそのすべてを伝えようがない。本稿では,数学教育において生徒達に暗黙知を受け入れて経験知として蓄積していくことのできるような素地をどのようにして培うのか,そのためにはどのような学習を組織する必要があるのかということに関して,見通しを探った。
>本研究を通じて,生徒がさまざまなことに取り組む中で失敗を含むいろいろな経験をし,それらの経験そのものを成果として次の新たな経験に生かすことのできる能力を培うことが大切であることを,授業の具体例を通して指摘することができた。また,概念形成という数学的理解のプロセスは数学的活動そのものであることに着目し,その理解過程と経験知との関係を数学教育の理論に基づいて説明した。

>本稿では,経験知を,経験の蓄積によって得られた知識や技能として考察を進める。
>経験知は多くの場合暗黙知である。
>たとえそれまでの経験すべてを言語化することが可能であるとしても,次に起こる状況はそれまでのいずれかに当てはまるとは限らない。
>一方で,それまでの経験があるからこそ,その新たな状況に自らの経験を照らし合わせて適合させ,変化させていくことが可能となる。
>暗黙知を,「言語で明確に表現することができない,もしくはそれが困難な(廣松渉ほか,1998)」知識であるとすれば,生徒が経験知を蓄積するための学校教育や数学教育の在りようについての必要十分条件は,言語ではそのすべてを伝えようがない。
>言葉として伝えられるのはせいぜい「教訓」であり,より深い部分は経験者個人のものである。

技術的側面
ノウハウ
認知的側面
「こうである」という現実イメージと「こうあるべきだ」という未来へのビジョンを映し出す思い、知覚
野中はsein(存在)とsollen(当為)の関係と捉え、「伝え手の当為まで踏み込んでいかない限りその経験を知として捉えることなどできはしない」というメッセージと解釈する

偶然の失敗の積み重ねが大きな発見につながった(田中, 2003)
実験での失敗を重ねる中で養われていく
経験の蓄積の重要性
技術の成熟の問題
作業がすべてマニュアル化された成熟した組織の中で、作業者がそれをはずれたときに異常に気づくことのできない思考停止状態に陥りがちになる
マニュアル教育の不備がもたらす誤判断
マニュアルからはずれたときに起こるべき問題を教え込まない
実際に起った失敗から学ぶためには、仮説を立てて成功に至る道を探索することも必要(畑村, 2012)
仮想演習の必要性
「事故の経過に沿ってそれぞれのステージで選択・実行した要因をつなげ(中略)仮に各ステージで別の選択をしたとすれば、その要因のつながりは失敗には至らず、成功につながったかもしれない」と考えて「その脈絡に作用している条件が変わったら何が起こるかを仮想的に考えてみる」

超越的再起モデル(Pirie, S. & Kieren, T., 1989, 1992, 1994, et. al.)
生徒の数学的理解過程を再規制と超越性を持つ力動的なものとして記述するモデル
数学的理解過程を規範的に適用する


「ある個人が持っている概念よりも高次の概念は単なる定義によっては理解されない。唯一の方法は適切な範例の集合を示すことである(スケンプ, 1973)
「偶然を認識し、思索を深めて発見や発明につなげていくためには、その偶然に出会った人が旺盛な好奇心や洞察力などに富んでいることが不可欠である」(白川, 2001)
ニュートンのリンゴはセレンディピティ的着想(諸説あり)

ポランニー.M (2003)「私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうもの」であり、「受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっている」