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第12章 慈善行為

1972年ピーター・シンガーは『飢えと豊かさと道徳』土台された論文で道徳哲学者の間にセンセーションを巻き起こした(Singer, 1999)
数十年後にニューヨーク・タイムズ紙が「おそらく世界で最も論争の的になっている倫理学者」と称した男
彼の主張は一つの簡単な仮定から始まった
目の前の浅い池でひとりの少年が溺れそうになっているのに気づいたら、その人には少年を救おうと努力する道徳的義務がある
それ以外の行動をとれば、つまり傍観して少年を溺れさせたら、道徳に反することになる
シンガーはさらに、たとえ何千キロメートルも離れた場所であっても、わたしたちは飢えで瀕死の状態にある発展途上国の子どもたちに対してまったく同じ義務を負っている
自分の裏庭で死にそうになっているのではないという事実だけでは、子どもたちの窮地を無視する理由として不十分だ(Singer, 1972)
シンガーの結論は人々を落ち着かない気分にさせがち
シンガーの主張は、わたしたちが旅行にでかけたり、高価な車を買ったり、家を改装したりするたびに、それは目の前で人々を死なせてしまうことと道徳的に同じだと暗に告げている
ある計算によれば、アメリカで子どもを大学に行かせる費用があれば、たまたまアフリカのサハラ砂漠以南に生まれて暮らしている50人以上の子どもの命を救える
大学4年間の費用を20万ドルと見積もり、それを、マラウイやコンゴ民主共和国の子どもひとりの命を救う費用をおよそ3500ドルと見積もるGiveWellの数字(GiveWell, 2016)で割った
シンガーがその主張で際立たせたものは、単純で日常的な人間の偽善以外の何物でもない
つまり、支援を最も必要としている人を助けたいという自分が述べている理想と、自分自身にお金を使うという実際の行動とのギャップ
それを主張することで、シンガーは「道徳的」行動と考えられているものに対する読者の考え方が変わることを願っている
それとは対照的に、本書の目的は単純に、人間を動かしているものが何であるかを調べること

効果的利他主義
2006年、ホールデン・カーノフスキーエリー・ハッセンフェルドはコネティカット州のヘッジファンドアナリストとして働いていた
彼らは収入のかなりの部分を慈善事業に寄付しようと決め、自分たちの寄付を確実に効率よく使ってもらえるように、仕事で投資機会を調べるのと同じ方法で事前行為も調べ始めた
寄付がどのように使われているか、更に重要なことに、結果はどのように計測されているのかを知りたいと考えた
つまり、金融用語で言うなら彼らが関心を寄せていたのは投資収益率を最大にすることであり、単に適正評価を行ったとも言える(Singer, 2009)
彼らが連絡をとった慈善事業の反応はがっかりするようなものだった
笑顔の子どもたちの写真が載っている体裁ばかりのパンフレットと、きちんとやっているというあらかじめ用意されていたような言葉を返してきたところがあるかと思えば、敵意むき出しのところもあった
あるところは、競争相手のために秘密の情報を盗もうとしているのだろうと非難した
慈善家が「企業秘密」を守りたい理由については一考の価値がありそうだ
結局、金融アナリストを満足させるような、確かな証拠に基づく結果重視のデータで応じた慈善事業はほとんどなかった(Singer, 2009)
やがて彼らは、自分たちの望むデータが得られないのは「慈善事業にそのデータがないからだ」ということに気づいた(Singer, 2009)
そこで彼等は2007年に、どの慈善事業がもっとも効果的かを調べるため、複数の慈善事業に対して定量調査を行ってそれを公表する、ギヴウェルという組織を発足させた
ギヴウェルは現在、拡大しつつある「効果的利他主義」と呼ばれる社会運動の中心的存在
カーノフスキーやハッセンフェルドら、そしてシンガーの研究の影響を受けている効果的利他主義者は、時間、労力、金銭の寄付を正当な理由で行うよう人々を変えたいと願っている
どのように寄付をするかを決めるにあたって、効果的利他主義者は心ではなく頭にしたがう
この手法は十分道理にかなっていると思われるが、不思議な結論につながることもある
たとえば2015年、ギヴウェルのもっとも効果的な慈善事業リストは以下のようになった
アゲンスト・マラリア基金(サハラ以南アフリカに蚊帳を送っている)
ギヴダイレクトリ(無条件で困窮者に直接現金を配っている)
住血吸虫症対策イニシアティヴ(特定の寄生虫に感染した人の治療を助けている)
これらはどうみてももっとも一般的、あるいは典型的な慈善事業ではない
けれどもそれらは結果を出している
ギヴウェルの推定によれば、アゲンスト・マラリア基金はおよそ3500ドルでひとりの命を救っている
「われわれの見積もりでは、子どもひとりの命を救う費用は(中略)およそ3500ドルである」(GiveWell, 2016)
GiveWellは定期的にモデルを更新しているため、推定額は変動することに注意されたい
ここで効果的利他主義は慈善事業に対するアプローチとして理想的だと考える人もいれば、そうではない人もいるだろう
とりわけ、この活動は、慈善事業を「効果的」と考える根拠についてあまりに考えが狭すぎると批判を受けている(Singer, 2015)
なかでもギヴウェルは影響が確実に計測できる慈善事業だけに注目しており、それが政治や文化といった漠然とした変化に影響を与えようとしている慈善事業を無視することにつながっている
それでも、厳密に結果を重視するアプローチをとることで、効果的利他主義は従来の慈善事業がいかにこれまでこの種のアプローチをとってこなかったかということを浮き彫りにしている

実社会の利他主義
額面通りに受け取れば、アメリカ人はなかなか寛容である
毎年10人中9人が慈善事業に寄付している(White, 1989; Sullivan, 2002(Peloza & Steel, 2005内で例証)も参照)
2014年にはその寄付の総額が3590億ドルと、アメリカのGDPのおよそ2%の額にのぼった(Giving USA, 2015)
一部は企業や慈善団体から出ているが、70%以上は個人の寄付
他の先進国の国民もだいたい同じくらい気前が良い
本章では金銭の寄付に焦点を絞る
たんにそれがよく研究されていて計測しやすいという理由からだけだが、同じような主張はあらゆる形式の慈善行為に適用できるだろう
実社会の利他主義で際立っているのは、それが効果的利他主義から大きくはずれていること
アメリカの慈善事業の主要な受取人は宗教団体と教育機関
確かに宗教団体への寄付の一部は最終的に困窮者の支援に行き着くが、ほとんどは礼拝や日曜学校など、これといって慈善ではないものごとに使われている
教育機関への寄付はおそらくそれよりさらに影響が小さい
全体として、アメリカの個人の寄付のうち、それを一番必要としてる人々、すなわち世界の貧困者に届くのは13%に満たない
アメリカ人は2014年に3580億ドルを慈善事業に寄付した(Giving USA, 2015)2013年には、そのうち390億ドルが発展途上国の支援に回った。これらの数字は個人の寄付のものである。2011年、連邦政府はさらに310億ドルを体外支援に使った(ただしすべてが人道支援目的ではない)(Center for Global Prosperity, 2013)
国レベルでの寄付の分配が非効率であることにくわえて、個人が選択するときの行動も奇妙
たとえば最近のある調査(Hope Consulting, 2010)によれば
アメリカ人の大部分(85%)は非営利行為に関心があると述べているが、1年のあいだに何らかの慈善の寄付について調べる人は35%だけ
調べる人のうち、ほとんど(63%)は自分が寄付をしようと思う非営利行為の正当性を確認するために調べる
寄付者のうち3%だけが、どの非営利行為が最適かを比較検討している
わたしたちはときに、目的や用途など、慈善行為についてのもっとも基本的な事実を知らなくても喜んで寄付をする
ジェフリー・ミラー「1997年には、ダイアナ妃の死から2週間も経たないうちに、イギリスの人々はプリンセス・オヴ・ウェールズ基金に10億ポンドを超える寄付をした。その新たに設立されたばかりの慈善団体における寄付金の用途や管理費が決まったのはそのずっとあとだった」
寄付を経済活動として分析すると、わたしたちが自分の寄付の影響をほとんど気にしていないようだとすぐわかる
たとえばある調査では、渡り鳥の死を防ぐ網にいくらまでなら寄付するかを参加者に尋ねた
2000羽、2万羽、20万羽とグループごとに救える鳥の数を伝えた
3つのグループの人々はみな同じ金額を寄付したいと答えた(Desvousges et al., 1992)
規模の軽視」「規模に対する無感覚」として知られているこの効果は、汚染された湖の浄化、環境保全区域の保護、交通事故の減少、死の防止までをも含む、多くの問題で証明されている(Kahneman & Frederick, 2002)
人々は役に立ちたいと思っているが、その支援の大きさは、寄付の影響の規模に比例していない
わたしたちはまた、もっとも有意義な慈善行為に戦略的にまとめて寄付するのではなく、少額の寄付をたくさん行って「分散させる」ことを好む(Baron & Szymanska, 2011; Fox, Ratner, & Lieb, 2005)
資本市場の投資での分散の主な理由な金融資産の受益者に対する損失リスク回避
けれども、慈善寄付の受益者と考えられる社会はすでに十分分散している
個人の寄付者寄付金を分散しようと集中しようと、全体の配分にたいした影響は与えない
その一方で、効果的利他主義が実証しているように、いくつかの慈善事業はそれ以外のものよりもはるかに効率がよい
アゲンスト・マラリア基金に3500ドルを寄付すれば必ずひとりの命が救えるのに対して、同じ金額を100の異なる慈善事業に分散させれば、そのようなばらばらの寄付をすべて集めて処理するために必要な管理費さえほとんどまかなえずにまるごと無駄になるかもしれない
慈善関連の行動を評価するにあたって、わたしたちは全体の非効率さは気にしないらしい
裕福な人がしばしば熟練を要しない無償奉仕をして、しかも賛美されている
たとえ彼らの時間は公開市場で買われたほうがはるかに価値が高くても(Miller, 2000)
>ビジネスと同様に慈善事業でも、分業は経済的に効率がよい。それにもかかわらず、世界中の近代都市のほとんどで、専門性の高い弁護士、医師、またその夫や妻が、ホームレスのための無料食堂で働いたり、高齢者に食事を届けたりすることに自分の時間を費やしている。彼等の自家なh、食堂労働者や配送ドライバーの標準時給の100倍もの価値があるだろう。スープを給仕するために1時間を費やす代わりに、仕事をしてその一時間分の給料を寄付すれば、だれか別の人に二週間給仕してもらうことができるはずだ(Miller, 2000)

「温情」理論
1989年、そうした非効率性の一部を説明しようと、経済学者のジェイムズ・アンドレオーニが慈善事業へ寄付する理由について別のモデルを提案した
アンドレオーニが立てた理論によれば、わたしたちは厳密に他者の暮らしを改善するためではなく(あるいは経済用語で言うなら「公共財を供給するために」)、自分が幸せな気分になるという自己本位な心理的動機が一員となって慈善行為をする
たとえば、路上のホームレスに施しを与える理由のひとつは、結果がなんであれ、寄付をするという行為によって自分が気持ちよくなるからである(Andreoni, 1989; Andreoni, 1990)
アンドレオーニはこれを「温情」理論と呼ぶ
寄付する二つの方法
アゲンスト・マラリア基金に月一度の自動送金を設定する
ことあるごとに物乞いをする人、献金箱、ガールスカウトに少額を寄付する
他者の生活を改善するためには一つの慈善事業に自動送金するほうが効率がよいかもしれないが、幅広く、機会があったときに、少額を寄付するもうひとつの方法のほうが、心温まる気持ちを作り出すには手っ取り早い(Baron & Szymanska, 2011「温かさの強さはそれぞれの寄付行為でほぼ一定かもしれない(Margolis, 1982)」)
寄付金を「分散」させれば、気持ちよく感じる機会が増える
しかしながら、わたしたちの行動の究極の説明としては、温情理論は一時的なものにすぎない
専門的に言うなら、Andreoniのモデルは温情の裏にある「なぜ」があいまいである
これはAndreoniのモデルそのものを批判するものではなく、ただ温情理論が無視している疑問点に注意を促そうとしているものである。「温情」タイプの表面的な心理的説明のほかの例についてはNiehaus, 2013
なぜ慈善事業に寄付すると気持ちよくなるのかあ
慈善行為に影響を与えている5つの要因を検討していこう
目に見えること
見られているとより多くの寄付をする
仲間の圧力
寄付は社会的な影響を受けやすい
近さ
世界の人より地元の人を助けたい
共感
支援の対象が(顔かストーリー、あるいはその両方で)だれだかわかるときは寄付が多く、数字やデータだと寄付が少ない
交配の動機
交配の動機が関わると気前のよさが増す

目に見えること
ある研究によれば、戸別訪問の寄付依頼者が寄付を頼むとき、依頼者がひとりよりふたりのときのほうが寄付の額が大きい(Jackson & Latané, 1981)
しかしながら、たとえ依頼者がひとりでも、視線を合わせると寄付額が著しく増える(Bull & Gibson-Robinson, 1981)
また、寄付金が封筒のなかにしまわれているときよりも、依頼者に寄付の額がわかるときのほうが金額が多くなる(Hoffman, McCabe, & Smith, 1996)
さらには抽象的な目玉模様があるだけで、人々の気前がよくなる(Haley & Fessler, 2005; Rigdon et al., 2009; Nettle et al., 2013によれば、目玉模様は人が寄付する確率を上げたが、寄付の平均金額を上げなかったことに注目)
慈善団体は、自分の貢献度を認めてもらいたいという人々の気持ちをよく知っている
寄付者が太っ腹なところを宣伝する手助けをして、慈善団体はもっと寄付をするよう促している(Grace & Griffin, 2006; Miller, 2000)
逆に、人々は貢献が見えないときには貢献をしない傾向がある
匿名の寄付はきわめてまれ
公の慈善事業に対する寄付者のわずか1%ほどが匿名(Glazer & Konrad, 1996)
同様に、実験室環境においても、寄付をする人が匿名を選ぶことはほとんどない(Andreoni & Petrie, 2004)
そして公の慈善事業に「匿名」で寄付をするときでさえ、寄付車の正体が完全に隠されたままであるかどうかは疑わしい
ミラー「ロンドン社交界の名士がかつて、匿名寄付者の多くはだれだかわかると私に語った。たとえ名前が新聞に大きく出なくても(中略)彼らは社交界ではよく知られているのだ」(Miller, 2000)
最低でも、ほとんどの「匿名」寄付者は配偶者や親しい友人に寄付について話すだろう
慈善団体はよく寄付額を段階的に分類して、正確な寄付額ではなく等級で寄付者を宣伝する
驚くまでもないが、そうしたキャンペーンに対する寄付の圧倒的多数は、段階的分類の最低額ちょうどになる(Glazer & Konrad, 1996; Harbaugh, 1998)
別の言い方をするなら、自分が認められる金額以上を寄付する人はほとんどいないということ

仲間の圧力
慈善事業への寄付に対するもうひとつの大きな影響は「仲間の圧力」
むろん寄付者はその影響を否定する事が多いが(Polonsky, Shelley, & Voola, 2002)、証拠は逆を示している
何よりもまず、戸別訪問の寄付依頼が機能している
人は友人や近所の人や家族に頼まれると特に寄付をする
自分から寄付をすることはめったになく、全寄付の95%までもが依頼に応えたものだ(Bakkers, 2005; Bryant et al., 2003も参照)
誰かが玄関にやってきたり、教会で寄付皿が回されたりする直接の寄付依頼は、ダイレクトメールやテレビ広告など人を介さない寄付依頼よりうまくいく(Bekkers, 2005)
特に依頼者と親しい結びつきがあると寄付をする可能性が高まる(Carman, 2003)
確かに、この効果の一部は保証によるもの
友人から寄付を頼まれれば、それは正当な目的のためである可能性が高いが、見知らぬ人に依頼されると、詐欺ではないかと疑ったり、寄付に値したいのではないかと考えたりする
けれども、慈善が目的であると100%わかっていても、仲間の圧力は仲間ではない人の圧力よりも効果が高い
大学が卒業生から寄付を集める時は、同じ卒業年度の同級生から呼びかけてもらうことが多い(Carman, 2003)
この手の依頼は寄付の依頼者が元ルームメイトだとさらに効果があがる(Meer, 2011)
ここで主に関係している変数は、寄付者と依頼者の社会的な距離
仲間の圧力が人生の様々な領域で大きな役割を果たしていることはもちろんだが、慈善行為の判断では特にその影響が大きい
もし寄付のように投資をしたら、投資の95%は友人、家族、教会の知人、それどころか電話の見知らぬ相手からの直接の依頼に応えて行うことになる

近さ
人は物理的にだけでなく社会的に自分に近い人を助ける傾向がある
遠い場所の見知らぬ人より、地元社会の人を先に助けようとする
ピーター・シンガーによる思考実験の溺れかけている少年
ジョナサン・バロンエヴァ・シマンスカはこのバイアスを「偏狭性」と呼んでいる
彼等が自国(アメリカ)の人を助けようとする気持ちと、インド、アフリカ、ラテンアメリカの子どもたちを助けようとする気持ちについて調査したところ、人々の選択は自国の人を助けるほうに著しく偏っていた
ある被験者が述べたように「この国にも支援の必要な子どもが同じくらいたくさんいるので、まずそちらを助けたい」と考えているのである(Baron & Szymanska, 2011)
そうした調査結果は実際の寄付のデータにも表れている
2011年、アメリカ人は慈善事業に2980億ドルの寄付をしたが、そのうち推定で13%(390億ドル)だけが国外の支援に向けられたものだった(Giving USA, 2015)
最も困窮しているアメリカ人でさえたいていは発展途上国の多くの人よりよい暮らしをしているのあだから、これは効果的な慈善行為の姿とはとてもいえない

共感
シンガーによれば、利他主義行動の研究ですでに立証されている事実のひとつは、だれだか分かる人を助ける場合が多いこと
つまり、名前、顔、ストーリーのある特定個人が対象となっているとき
名前が分かる場合、人々は独裁者ゲームではより寛大になったが、最後通牒ゲームではならなかった(Charness & Gneezy, 2009)
1968年に初めてトーマス・シェリングが調査したこの現象は、その後「特定可能な犠牲者効果」として知られるようになった
たとえだれだかわからなくても、寄付の受け手がすでに決まっているときは、受け手が未来に決定する場合よりも、人々はより寛大になった(Schelling, Bailey, & Fromm, 1968)。Small & Loewenstein, 2003を参照
当然のことながら、それに伴う欠点は、だれだかわからない相手をあまり助けようとしないこと
ヨシフ・スターリン「ひとりの死は悲劇だが、100万人の死は統計である」(O'Toole, 2010b)
多額の資金を集める慈善団体はこれをよく知っているため、物語を紐付けしていることがほとんど
ユナイテッド・ウェイのWebサイト「ジョージタウン大学4年制のリズ・シントロンさんは、ひとりの夢を叶えることがすべての人にとっての勝利であることを示す輝かしい例です」(United Way, 2016)
毎年、他のどの慈善団体よりも多くの資金を集めているユナイテッド・ウェイは明らかに自分たちのやっていることを理解している(Barrett, 2015)
伝記風の詳細をうまく活用しているもう一つの慈善団体はマイクロレンディングのキヴァで、寄付者は発展途上国の人々に無利子で金を貸すことができる
そのウェブサイトを訪問すると、様々な写真が並べられていて、それぞれに人間的な物語と具体的に必要な支援の内容が記載されている
たとえば、マリアは44歳のフィリピン人米農家で、作物の必要な肥料を買うために325ドルの融資を求めている(Kiva, 2017)
アゲンスト・マラリア基金が毎年何百人もの命を救っていても、それは統計上の命を救っているだけなので、支援対象となっている人々の名前や顔を掲げることはできない
平均して一人の命を救うためにおよそ500張の蚊帳が必要だというだけで、寄付者が一人を指差して「この人の命を助けた」と言うことができない
「AMFが将来的に配布を考えている国々における1張あたりの平均コストを5.31ドルとして、AMFが資金を出している殺虫剤に浸した長期残効型蚊帳(LLIN)配布によって救われる子どもひとりあたりのコストを2,838ドルと見積もった」(Givewell, 2016)

交配の動機
気前の良さに影響を与える最後の要因は、寄付が交配相手になるかもしれない人を印象づけるチャンスになっていること
人々、なかでも男性はたいてい、寄付の依頼者が魅力的な異性だと寄付の額が増える(West & Brown, 1975; Landry et al., 2005)
また男性は、知覚で見ている人が男性ではなく女性の場合にも、多くの寄付をする(Iredale, Van Vugt, & Dunbar, 2008)
特にわかりやすい研究は、2007年に心理学者のヴラダス・グリスケヴィシウスが同僚の研究者とともに行ったもの(Griskevicius, Tybur, & Sundie, 2007)
男性と女性の両方を含む被験者は、さまざまな利他行動に関わろうと思うかどうかを質問された
しかしながら、その質問の前に、被験者は実験群と統制群に分けられ、それぞれ異なる課題を与えられた
実験群の被験者では、たとえば理想的な初デートを想像するよう求められるなど、性交を思い起こすような状況が作られた
最近のメタ分析(Shanks et al., 2015)は「恋愛の動機づけ」が行動に影響を与えるとする実験結果に疑問を投げかけている。したがって、Griskeviciusの実験結果は半信半疑で受け取るべきだろう。なお、男性は魅力的な女性の寄付依頼者に対して気前が良くなるなど、そのほかの結果については結論に矛盾点はない
一方、統制群の被験者は似たような課題だが、恋愛の動機とはまったく関係のないものが与えられた
統制群の被験者と比べて、性交の暗示を与えられた実験具の被験者では利他行動をしようとする気持ちが著しく高くなった
被験者は金銭の寄付ではなく、ホームレス収容所を手伝うなどのボランティアの仕事や、溺れかかっている人を救助するなどの英雄的な行動について質問された。男性と女性とでは、示す利他行動について質問された。男性と女性とでは、示す利他行動に異なるパターンが見られ、男性は勇敢な行動に、そして女性は自分の時間を提供することを寛大になった。被験者はまた、見せびらかすかのような買い物についても尋ねられ、男性は女性と比べてそうした購買への姿勢が性交の動機づけの影響を受けやすかった
しかしながら、これは恵まれない子どもたちの勉強を手伝ったり、ホームレスの収容施設でボランティアをしたりするなど、そのよい行いが目に見える時にしか作用しない
シャワーの時間を短くしたり、郵便局の知覚でだれかが落とした手紙をポストに投函したりするといった目に見えない形の利他行為では、そうした行動に興味があるかどうかの質問に対する実験群の答えは統制群と差がなかった

見た目が大事
匿名の寄付でも心理的な報酬生えられるかもしれないが、多くの人にとってその「心温まる気持ち」だけでは不十分なのだ
私たちは慈悲深いところを見られたいのである
グリスケヴィシウスはこの現象を「露骨な善意」と呼んでいる
これは新発見でもなんでもなく、多くの観察者が、全行を認められたいと望む人々の気持ちを見抜いている
ジョージ・バーナード・ショー「百万長者は施しによって自分の罪悪感が和らいで社会的地位が上がりさえすれば、自分の金が役に立とうが立つまいがどうでもよい」
「百万長者が、寄付をすることで自分の気が楽になって社会的地位が上がりさえすれば、自分の金がよいことに使われようが使われまいがどうでもよいと思っているとき、その人と言い争っても無駄だ。そこでわたしはもっとよい寄付者になるための忠告として、巨額を出すだけだと性格が評価されるときにいたって怪しげだと思われますよと言うことにしている。必要以上に持っている人にとって金は何の価値もなく、どのように使うかという判断だけが、その人物に金をもたせておくことが社会的に正当であるかの指標である」(Shaw, Finch, 2010)
ラルフ・ウォルドー・エマソン「うぬぼれを取り上げたら、慈善行為者の気持ちが萎えてしまう」(Emerson, 1995)
しかしながら、理論的にこれを認めることはできても、実際に金銭を寄付したり人々を助けたりするときには、わたしたちはそれを名声や栄光のためにやっているなどとは断じて認めたくない
実際、多くの人は唯一「本物の」慈善行為とは完全に匿名なものだと感じている
はるか昔の12世紀、ユダヤ人哲学者のMaimonidesは寄付者の匿名度に基づいてさまざまな「慈善行為レベル」を区分した。寄付者が受け手にわかる慈善行為は、匿名行為ほど高潔ではないとみなされた
グリスケヴィシウスとミラーが主張しているように、おもな聴衆の一つは潜在的交配相手だ
寄付をするのは、部分的に、異性を引きつけることを意図した行動である
進化心理学が異性愛主義であることは許してもらいたい。この分野では(まだ)同性愛が本当に理解されていない
交配相手は自分に対して寛容であってほしいし、おそらくもっと重要なことに、未来の子孫に対しても寛容であってほしい
けれども潜在的な交配相手だけが意図された聴衆ではない
人々の話からわかるのは、男性も女性も、寄付者の性別に関係なく、寄付者の寛大さに気づくと感動する
この見解はいくつもの別の調査や実験研究によっても裏付けされている。Bekkers & Wiepking, 2011を参照
たとえば、女性は率先してダイアナ妃やマザー・テレサの寛大さを褒め称えるし(マザー・テレサの実際の功績がどれだけ不確かだったとしても)、男性はウォーレン・バフェットビル・ゲイツに対して同様の態度を取る
くわえて、閉経した女性、つまり交配という動機のない女性も、他の年代の人々と同じくらい、いやむしろそれ以上に寛大だ
慈善行為は潜在的交配相手だけでなく、社会と政治で橋渡しの役目を担うゲートキーパーによい印象を与える役割を果たしている
人々が履歴書や略歴に慈善活動に関わったことを記したり、大学が入試過程で学生にボランティアについて尋ねたりする
政治家も出馬する時に自らの寛大さを吹聴する
実際、気前のよさは世界中の指導者にとってきわめて価値のある性質である(Boehm, 1999)
グリスケヴィシウスの実験を、交配の動機ではなくチームに参加するあるいは社会的地位を上げる動機を与えて実施すると考えてみよう
前もってそうした社会的動機を与えられた被験者においては、寄付をしたり自己犠牲を伴う行動をしたりしようとする気持ちが性の場合と同じように増大するだろうと考えられる
もうひとつの重要な疑問は「なぜ慈善行為は交配相手、チームメイト、社会のゲートキーパーにとって魅力的なのか?」
言い換えれば、寄付、ボランティア活動、その他の献身的な行為によって、どのような性質が証明されているかどうかということ
わたしたちが宣伝しているなかで目に見えて明らかなものは富であり、ボランティア活動で言うなら、空いている時間(Glazer & Konrad, 1996)
これは衒示的消費、運動能力の誇示、その他の適応度ディスプレイの根底にある論理と同じ
慈善行為はまた自分の「向社会性」すなわち他者とうまくやっていく能力を宣伝するためにも役立つ
寄付と衒示的消費を比べる
余った富を見せびらかすためならどちらも有効な方法だが、消費がもっぱら自分のためであるのに対して、寄付はその逆
社会相手にゼロサムゲーム、競争ゲームを行う人物にリーダーになってほしい人などいない
みな仲間だからと気を配ってくれるような向社会性のあるリーダーが望まれる
慈善行為が国際社会よりも国内のそれに偏る理由の一つ
リーダーには遠く離れた場所にいる人より、身近な地域社会に気を配ってもらいたい
ある意味、わたしたちは、リーダーに偏狭を望んでいるようなもの
向社会性の宣伝に慈善行為を利用しているとわかれば、わたしたちが寄付先を決めるにあたって、自分ではほとんど何も調べない理由も説明できる
自分で調査すればどの慈善事業が寄付に値するのかといった個別の情報は得られるが、自分の向社会性を示すシグナルを送るためには、一般に勝ちがあると考えられている慈善行為に寄付をする必要がある
たとえば、いくらかの調査後、最善の慈善団体は「ヨード・グローバル・ネットワーク」だと判断して、500ドルの小切手を切り、自分の棋譜についてFacebookに投稿するとしよう
友人は誰も耳にしたことがない
本当に慈善事業なのか?妹がそこで働いているからじゃないか?
こうした疑念はその慈善事業を支援することによって得られる社会的な名声の価値を下げてしまう
慈善事業によって宣伝できる性質はもう一つあり、それは自然に発せられる、ほとんど無意識に他者の幸福を気遣う気持ち
この特質は共感、思いやり、同情、気配りなど、様々な名前で呼ばれている
すばらしい同盟相手になることを意味している
その人の周りで過ごす時間が増えれば増えるほど、その自演に発せられる善意を受けられる機会が増える
まさに慈善行為のその機能が、これまで論じてきた謎の多くを解明する
ひとつには、機会があるたびにちょこちょこと寄付をする理由の説明ができる
衝動的な寄付はそのときどきの問題に置いてほかに選択肢がないからでもあるが、他者を助けることが自分の自然な姿であることを人前で証明できるから
もちろんこれは、戦略的に寄付している人には思いやりがないという意味ではない。単に計画的な寄付では自分が無意識の思いやりを示す機会がないため、寄付を計画的に行っているかぎり多くの社会的報酬は得られないということ
ここからはまた、いくら数字が圧倒的でも、わたしたちが無味乾燥な統計ではなく個々の顔や物語に反応する理由もわかる
心理学者ポール・ブルームから見れば、これは大きなデメリットである
彼の主張によれば、共感によって一個人に注意が向けられると、そのためわたしたちの視野が狭まり、規模に対して無関心になってしまうのである(Kornhaber, 2015)
バートランド・ラッセル「教養ある人間の特徴は、数字の羅列を読んで泣ける能力だ」
この発言は彼のものだと思われるが、正確な言い回しはわからない。O'Toole, 2013を参照
世界規模で人々の生活を改善するという目的では、自然発生的な寛大さは最適な方法ではないかもしれないが、わたしたちの祖先が必要としていたものごと、すなわち交配相手を探すことと強い同盟関係を築くことにおいては効果的


慈善行為に欠けているもの
慈善事業への寄付には様々な動機がある
わたしたちは他者を助けたいが、同時に役立つところを見てもらいたい
自分のよい性質、とりわけ富、向社会性、思いやりの宣伝として慈善事業を利用する
この観点から見ると、他者を支援する行動のいくつかが慈善行為として賞賛されない理由がわかる
そうした賛美されない活動のひとつは、遠い未来の人への施し
金銭を今寄付するのではなく、それを信託して、金額が大きくなったときの用途を明記したうえで、50年や500年のあいだ複利の魔法に任せておくことができる
ベンジャミン・フランクリンが設けたものが有名
ボストン市とフィラデルフィア市にそれぞれ1000ポンドを贈与し、両市の子どもたちの徒弟奉仕を支援する資金として使うために、その基金を100年間運用するよう指示した(Collins, 2011)
慈善行為の目的が他者の支援であるかぎり、メトシェラ信託はすばらしい方法になりうる
けれども、そのような信託をする人はほとんどいない
ひとつには、遠い未来の人が相手では自分の共感や向社会性が目立たない
もうひとつ、慈善行為としてたたえられない活動は、ロビンが言うところの「限界慈善行為」(Hanson, 2012)
自分の決断をわずかに他者の利益になる方向へずらすこと
他者に価値を提供するという意味で、限界慈善行為はきわめて効率が良い
ほんのわずかな自己犠牲で、他者に大きな恩恵を与えられる
しかし一方で、限界慈善行為は自分のよい資質を宣伝する方法としてはまるで役に立たない
何よりもまず、自分が限界慈善行為に携わっていることを他者に見せつける方法がない
次に、極端に分析的

まとめ
近くで溺れかかっている子どもと数千キロメートル先で飢えている子どもを分け隔てる道徳的基準はないという点でシンガーは正しいかもしれない
けれども、地元の少年を救うほうが報いられるというきわめて現実的な社会的動機づけがそこにある
これは期待はずれの結論だが、わたしたちは受け入れなければならない
他者への支援としてもっとも効果のある慈善の形は、寄付者が自分の長所のシグナルを発信するためにもっとも効果のある方法と同じではない
もし社会がより多くの、よりよい慈善行為を望むなら、個々の寄付者がもっと報いられる方法を考え出さなければならない
大まかにいって可能な方法は二つある
きちんと戦略を立ててもっとも効果の高い慈善事業を売り込むこと
寄付者が慈善行為を富、向社会性、思いやりのシグナルとして利用していることを踏まえて、何らかの形でそのシグナルとしての価値を高めることができれば寄付が促されるだろう
効果的利他主義の資質を賞賛すべきだと、わたしたちが学ぶこと
ブルームが述べているように、共感を賞賛することは簡単である
けれども世界はますます技術とデータに基づくようになり、数字を読み解く能力はかつてないほど重要になってきている
したがって、ひょっとするとわたしたちは、他者の支援方法を計算する人を大きく評価できるようになるかもしれない