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チャールズ・ダーウィン

イギリスの博物学者。『種の起源』を著わして生物進化の理論を確立した。E.ダーウィンの孫。
エディンバラ大学に入学する (1825) が,2年で退学,ケンブリッジ大学に入り直す (28) 。ここで植物学者の J.ヘンズローらに博物学を学ぶ。
1831年から海軍の『ビーグル』号に博物学者として乗組み,5年にわたって,太平洋,大西洋の島々,南アメリカ沿岸,ガラパゴス諸島などを訪れ,動植物相の観察や化石の採集,地質の研究などを行なった。彼は航海中に行なった諸観察から,種が変化する可能性を考えるようになり,37年よりそれに関するノートを書きはじめた。
進化論の執筆を始めて (56) まもなく,R.ウォレスから彼の理論と同一内容の論文を受取り (58) ,C.ライエルらのはからいで業績の要約をリンネ学会で発表し (58) ,59年『種の起源』を出版した。ダーウィン進化論は,彼以前の進化思想に比し,内容が科学的でしかもそれが豊富な実例によって裏づけられている点に特徴があり,強い説得力をもちえ,大きな反響を呼んだ。また『種の起原』は,環境への生物の適応を扱っており,生態学の出発点ともなっている。
しかし一方で,ダーウィン自身 T.マルサスの『人口論』からの影響について述べており,また一般にその時代の自由放任主義 (レッセ・フェール) 理念の反映であるといわれることもある。
進化論に対する宗教界からの攻撃には,T.ハクスリー(トマス・ヘンリー・ハクスリー)が代って応戦した。ダーウィンは 71年『人間の由来』で,進化論を人間の起源にまで拡張した。以後,晩年は植物の運動に関する実験的研究を行い,その結果を『植物の運動力』 (80) などにまとめている。
20世紀に入って,ダーウィンの自然選択説とメンデル遺伝学とが組合わされて,現在の進化機構論が形成されている。