Long Goodbye ミライアカリさん
2023/03/24
ミライアカリというVTuberが活動を停止すると発表した。
感情が湧いたので
ポエムを書こうと思って書き始めたところ、自分語りのような、手紙のようなそんなものになった。
による要約
VTuberのミライアカリが活動停止を発表
作者はミライアカリに感謝の気持ちを表現
ミライアカリはVTuber黎明期の一人で、多くの人に影響を与えた
2018年のイベントで初めてミライアカリを生で見た経験や様々なエピソードを振り返る
作者はミライアカリと友達のような関係だと感じるが、1対多の関係を認める
VTuberシーンの変化について触れ、ミライアカリの活動停止に対する後ろめたさを表現
ミライアカリの最後のメッセージに対する感想を述べ、彼女の影響が消えず火種として残ることを願う
この文章の特徴
感情的で親しみやすい: 著者はミライアカリとの思い出やエピソードを共有しながら、親しみやすく感情的な語り口で文章を書いています。
対話的: 著者は読者に問いかけたり、自分の経験を通じて読者に共感を求めるような表現を使っています。
エピソードや思い出を多用: 文章ではミライアカリと関わったさまざまなエピソードや思い出を紹介しており、その詳細さが印象的です。
> 改めまして、ミライアカリは、2023年3月31日をもってVTuberの活動を引退します。
> 3月31日に生配信の機会を作っていただきました。
> 最後のわがままですが、どうかアカリに逢いにきていただけると嬉しいです。🦋
ミライアカリはVTuberの黎明期の特に大きな人気者(通称、四天王)の一人だ。後進が花開いたのは、彼女たちのような
ファーストペンギンがいたからだ。彼女の極めて楽観的な言動は私を含めた多くの人を救ったと思う。
私が本人を初めて見たーつまり、配信ではなく生で見たーのは2018年の
/vtuber/超バーチャルYouTu"BAR"であった。いまではVTuberのライブは珍しくないが(むろん、大手の箱ではという注釈つきで)、当時はこのようなイベントはなかったから、おそらく参加者はみな緊張していたと思う。
その中でトップバッターとして空気を作ったのがミライアカリその人であった。トーク力と人当たりによって、興奮と緊張がないまぜになった空気は変わった。場が盛り上がった。
私が見た彼女の発表の多くが2017-2018年の出来事で、いままでの全体でいえば10%未満だろうが、こんなエピソードにことかかない人物だったと思う。
MMDモデルを公開してニコニ立体のサーバーが落ちたことも(このとき初めてMMDにモーションを流し込んで動かした)、2017/12/25のクリスマス配信も(はじめてVTuberと迎えたクリスマスだった)、GYARIさんと組んで
やってきたことも、VTuberファンの間では滑ったと評されているチャレンジングなアニメ
バーチャルさんはみているの主題歌の冒頭のセリフはたまたま中田ヤスタカが拾ったことも(
/vtuber/あいがたりない#5c6ecd47774b170000dc77f1)、のちに
猫宮ひなたとの旅行か何かの間の深夜の配信でふと口にしたことも覚えている(評価は散々なアニメだったけど、こうして記憶に残るならやってよかったじゃないかと思った)
あなたが最近会った友達の顔を思い浮かべて欲しい。その人はどういう人だろうか?
そうしたら次に、そう思った理由を考えてみてほしい。「こういうところがいいやつで、ちょっと欠点もある。昔こういうことがあって…」とその人のちょっとしたエピソードがいくつも出てくるだろう。
その記憶の集合体が自分にとっての友達像を作ると私は思っている。そういう意味でミライアカリさんと「友達」なのだと思う。
ぴぴぴ。自分の中で過言センサーがアラートを上げた。今、そわそわした浮ついた感情を抱きながらこの文章を書いている。だから、これは誇張した表現だろう。実際には
1:nの関係だ。
とはいえ、動画や配信を見ていれば親近感は嫌でも抱く。楽しい時の人間の感情にバリエーションはさほどない。感情が盛り上がった時「わかる」「たのしい」みんな同じようなコメントをする。コメントの一体感とそれへの応酬はそのまま1:1の会話に近づくし、配信とそれをみる自分はなんとなく繋がりを感じるような関係性の魔法がかかっているのである。
活動を継続できなくなる理由はきっと、間接的には私たちが見ていないからだろう。私は見ていなかった。薄情な友達かもしれない。そもそもVTuber自体に齧り付いてみるということが減っている、いや、ほぼない。興味は持ち続けているが、今の私の情熱は作りたいものに向いている。
「友達」が自分に幕を下ろすことを残念に思う一方で、力になれていない後ろめたさもある。こういう輩が最後になって騒ぎ出すのは構造上の運命だとしても滑稽だと思うし、たぶん好きじゃない。だから、自分のことが好きじゃない。たぶん。
ちかごろは時計が早く回る。四天王が五人いたことも、あの人VやこのVのことを新規に入ってきた人が知る機会はなくなっただろうか。
さっきエピソードを思い返していたとき、実際にはシロのエピソードだったのをミライアカリのエピソードと勘違いしていたことが1つあった。体験を共にしたVの記憶も薄れていく。体験したことや感じた気持ちは個人の範囲でとどまり、日々重なり続ける日常というシフォンにすぐに覆い隠されていく。日常は高い粘性をもち、楽しかった記憶にくっついて曖昧にしていく。
いまのVTuberシーンは個人の時代ではない。箱が強く輝く時代である。
えにから東証グロース上場し、直近も成長を続けて景気が良い。
カバー株式会社も上場を控えている。ライブ配信で気持ちを掴み、人海戦術でクリエイティブを素早く出し、コラボで飽きさせず、多くの可処分時間を獲得するようにアテンションを取り続ける。商業的な明暗が別れたのはいつごろだったろうか。
のじゃおじは早々に枠組みから自ら離れた。
キズナアイはコールドスリープに入り、
輝夜月は明確な喧嘩別れをした。
シロちゃんはまだ頑張っているが、商業的な意味で当時の勢いは今はない(コンテンツの良し悪しとは関係がない。最近の英語配信、面白かった)。
祭りの中心がいなくなれば、依代をもたない共同幻想はいくら集まったところで無力化される。
それでも、ふとしたきっかけで記憶は息を吹き返す。体験はなくなるわけじゃない。思い出すことができる。シフォンの海をかき分けよう。コンテキストを共有し、歴史を紡ぐために
/vtuberを書きはじめたのだ。
ミライアカリの最後のメッセージはややメタ的だが、それでも
バーチャルな存在としてのメッセージだ。2018年に私はこの考え方に価値を見出した。
生きているキャラクターとしてのVTuberがいた。
KEIデザインのミライアカリは
初音ミクの系譜で、新たな生命体の様相とUGCの関係性を形づくる超新星爆発であった。少なくとも私の中では。
彼女の冒頭のツイートの心遣いは、私が重ねたエピソードから生み出した友達像から外れない。紆余曲折ありながら、最後に彼女は彼女だったのだ。少なくとも私の中では。
人の数だけ関わり方があり、エピソードがある。それぞれの中で「友達」ができていく。あなたにとってはどうだっただろうか。
1人1人のミライアカリ像
5年というスパンで見た時に商業的には成功しなかった(?)ものの、この魂はまたいつか燃え上がるだろう。冬の時代こそ灯し続けよう。火種を絶やさぬように🕯
So Long, Goodbye! ミライアカリさん
愚かな友人より。
モルフォ蝶は見る人によって色を変えるという意味のモチーフだったらしい
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