芦部信喜
憲法学の泰斗

憲法学の最大権威

なぜ影響力を与えるようになったの?
1952年 東京大学法学部を卒業し、東大助手として研究を開始
1960年 東京大学法学部助教授に就任し、憲法学の教育・研究を本格化
1965年 教授に昇進
1960年代後半 東大憲法学の中心的存在として認識され始める
1970年頃 「目的・手段審査」などの憲法解釈の枠組みを整理し、学界で評価を高める
1975年頃 内閣法制局や最高裁に影響を与える憲法理論を展開
日本国憲法に関する重要判例を整理し、理論化した。
特に、基本権の制約理論(目的・手段審査、比例原則)を日本の憲法解釈に導入し、裁判所の判例形成に影響を与えた。
目的・手段審査(厳格審査・合理性審査)の定着
芦部は、アメリカ憲法学の審査基準を参考にし、日本の判例に適用する枠組みを提示した。
最高裁が基本的人権の制約を判断する際、「目的の正当性」と「手段の合理性」を検討する方法(目的・手段審査)を定着させた。
この理論は、最高裁判決の表現の自由・平等権・経済的自由の制約に関する判例に影響を与えた。
比例原則の普及
比例原則は、ドイツ憲法学の概念だが、芦部はこれを日本の憲法解釈に適用し、人権制約の合憲性を判断する重要な基準として普及させた。
最高裁が違憲審査を行う際、「必要最小限の制約か」を判断する根拠となった。
内閣法制局は、政府の憲法解釈を統一する役割を担うが、学説の影響を受けやすい。
芦部の統一的で論理的な憲法解釈は、内閣法制局の法解釈と一致する部分が多く、政策判断に影響を与えた。
例えば、集団的自衛権の解釈や政教分離の問題などで、芦部理論が参照されたとされる。
最高裁判所は、学説と実務の整合性を重視するため、芦部の整理した判例理論を参照しやすかった。
1970年代後半 東京大学法学部の憲法講義で、芦部の理論が基礎となり、多くの学生に学ばれる
1982年 代表作『憲法』(岩波書店)初版を刊行
1980年代半ば 各大学で憲法学の講義が『憲法』を教科書として採用する動きが広がる
1985年頃 司法試験対策としても『憲法』が定着し始め、受験生の間で必読書となる
1990年代前半 『憲法』が憲法学の定番書として確立
1991年 東京大学名誉教授に就任
1993年 細川内閣のもとで憲法改正論議が活発化し、芦部の憲法理論が参照される
1999年 芦部逝去
2000年 高橋和之が『憲法』の改訂を担当
2004年 ロースクール制度の導入
2006年 新司法試験が開始され、『憲法』が受験生にとって不可欠なテキストとしての地位を確立
2010年以降 改訂が続けられ、『憲法』は判例学習や試験対策において最も信頼される一冊に
2015年以降 憲法改正論議が再び活発化し、芦部理論が学界・実務界で重要な参照基準となる
2020年代 司法試験・ロースクールでの影響力が続き、「芦部憲法を読まずして憲法を語るな」と言われるほどの権威を維持